80年ほど前に建てられた由緒ある家を、現代にどう生かすべきか。たとえ手間がかかっても、なんとか残したい。文化財的な価値ある建物を引き継ぐことになった、千葉県に住む50代の夫婦。先代が大切に守ってきた日本家屋に、新たな生命を与えるべく、建築家とともに悩み、解決に向け奔走することに。かつての面影を残しつつ、バリアフリーでくらしやすく生まれ変わった「建物再生」の物語を紹介します。
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この地の移り変わりを見守ってきた歴史ある家手間をかけても残したい、築80年の日本家屋先代が大事に守ってきた家に、新たな命を授ける往時の面影を残しながら、現代の生活に合うバリアフリーの家に間取図この地の移り変わりを見守ってきた歴史ある家
玄関側の部屋から二間続きの空間を見通したところ。手前の部屋は板張りになった夫の寝室兼仕事部屋。手彫りや組子で仕上げられた欄間が時代を感じさせます。大きな空間によく似合うイサム・イノグチの照明「AKARI」。
妻の寝室はほぼ往時のまま。書院、床の間、床脇の揃った本格な和室。
手間をかけても残したい、築80年の日本家屋
門前に立つ大きなケヤキとさまざまな植物が植えられた庭に抱かれるようにたたずむ古い民家。これが千葉県ののどかな住宅地に建つ、夫妻の住まいです。「この家は本当に居心地がいいんです。夏は自然の風が抜けてエアコンいらず」と妻。
この家は妻の曽祖父が建てた家。明治期に木材加工業で財を成した曽祖父の隠居庵として、およそ80年前に建築されました。庵は明香庵と名づけられ、昭和から現代までこの地の移り変わりを見守ってきたのです。
第二次世界大戦中には、著名な政治家を疎開、逗留させていたことから、市史にも記録される文化財的な意味もある建物。そして時代は巡り、明香庵は曽祖父から祖父、父へ。妻が育ったのは、隣に父が増築したもう1軒の家。両親が高齢になったため、ひとり娘の妻がこの2つの家を引き継ぐことになったというのです。
由緒あるこの家をどうすべきなのか。現代では、相続した古家の扱いが大きな社会問題となっています。そんななか、夫妻は迷わず、この家を生かす方法を模索することにしました。
計画の立ち上がる前から相談に乗っていたのは、建築家の廣部剛司さん。廣部さんと妻は大学時代からの旧知の間柄。この後、廣部さんと夫妻はこの家を生かすためのさまざまな問題を解決していくことになります。
初めは増築部分をバリアフリーの家に建て替える案を検討しましたが、最終的には明香庵をリノベーションして、夫妻が暮らすということに。
計画が始まってから、足掛け6年。この間には、父親が介護施設に入所し、夫が病で車椅子生活を余儀なくされるなどの不測の事態に直面させられる、厳しい道程でした。しかしそのつど、廣部さんと夫妻は二人三脚で臨機応変に対応し、数々の問題を解決してきたのです。
「以前、市から文化財登録の申し出があったそうですが、祖父が辞退しました。登録すると維持が大変だからって。でも歴史のある家ですから、手間をかけてもこの状態を残したかった」(妻)
「この家は、僕にとっても懐かしい日本の家。やはり自分たちが古い建物を残していくことの意味があると思うのです」(夫)
価値観を共有する夫妻と建築家の手によって、この家は次代へと引き継がれる準備ができたようです。
広い玄関には高台をかぶせ、昇降機を使って車椅子で移動できるように。
リノベーション前の建物の様子。(上段2点)ケヤキの枝が大きく張り出した以前の家の外観と暗くて寒かった台所。(下段2点)もともと掘り込み車庫があった部分にエレベーターを増築。室内は床を取り払い、その下に断熱材を入れています。
先代が大事に守ってきた家に、新たな命を授ける
障子はガラス障子の一種で、下の部分を上げることで外に降る雪や景色を見られる、風流な雪見障子。
和室から板張りの部屋を見たところ。今では見かけることも少なくなった欄間の意匠が印象的です。和室の畳は断熱性を重視し、スタイロ畳に変更。
障子を開け放てばこの風景。祖父がもともとの庭に手を加え、多種類の植物が植えられています。
玄関から続く、コの字型に回された長い廊下。この長さでも床板の狂いなどは少なかったそう。ガラスには当時の吹きガラスも残っています。ガラス戸はそのまま残しましたが、雨戸は新しくつくり直し。雨戸を閉めても、上部の窓から自然光が差し込みます。東側の廊下のつき当たりは祖父が椅子を置いて、新聞を読んでいたこの家の一等地。
オリジナルで造作されたコンパクトなキッチン。トップライトのおかげで北側にありながらも採光は抜群。右は洗面浴室、左にはパントリー。水回りは家事がしやすい動線計画に。
キッチンから洗面浴室へ。浴室の向こうは廊下につながり回遊できます。
トイレは配置を変え、正面に組子の建具をはめ込みました。「今までは側面で見えにくかった建具が日の目を見られてうれしい」(妻)。
室内空調をコントロールする最新型のエアコンが露出しないよう、垂れ壁で目隠しを。
コンクリートの箱は増設したエレベーター。隣の車庫からバリアフリーで出入り可能。
高低差のある敷地。自然石の階段を上り、山門を抜けて玄関へ。
往時の面影を残しながら、現代の生活に合うバリアフリーの家に
リノベーションの方向性は、この家のたたずまいを残しながら、老朽化した建物を健全化するというもの。そして現代の生活に見合う機能性と、車椅子でも不自由なく暮らせるバリアフリーにすることでした。幸いなことに建物本体には大きな改修はされておらず、構造も良好だったそうです。
「当時でもかなり質のいい部材や建材を使っていたようです。だから自分の仕事は老朽化した部分を修正し、あと何十年も持つように手助けすることでしたね」(廣部さん)
建物のゆがんだ部分はジャッキアップし水平に、床下に断熱を施しながら、2室ある和室の一方を板張りに。床をフラットにしたことで家じゅうどこでも車椅子で移動できるようになりました。そしてキッチン、バス、トイレなどの水回りは、コンパクトで使いやすくつくり替え、家でも仕事ができるワークスペースやパントリーも新設されました。
改修部分と既存の質感との差異が目立たないよう、色味や質感を考慮し、全体のバランスを整えています。それは古いものと新しいものが調和したリノベーション。
もっとも問題だったのは、敷地の高低差。道路面と家までのレベル差はおよそ3mあり、そのため敷地の一角にエレベーターを設置することにしました。車庫からエレベーターで庭まで上がり、玄関へ。玄関には昇降機を取りつけ、水平移動で家に入る動線につくり替えたのです。
「生活に必要な設備は快適ですし、エレベーターのおかげで移動もラク。これからはこの家で、古くて新しい暮らしを楽しみたいですね」と夫妻は語ってくれました。
間取図
もともとは大きな玄関と10畳大の和室が二間に奥まった水回りがある間取り。コの字型に廊下が回されていました。今回のリノベーションでは、間取りはほぼそのままで、断熱性を上げて、水回りを明るく、使いやすくしました。いちばん大きな工事は、道路から玄関レベルまで上がるための独立型エレベーターを増設したこと。
DATA
延床面積/88.89㎡(26.93坪)
用途地域/第1種中高層住居専用地域
構造/木造軸組み工法
リノベーション竣工/2021年3月
素材
[外部仕上げ]
屋根/ガルバリウム縦ハゼ葺き
外壁/板張り+サイディング
[内部仕上げ]
床/フローリング、畳
壁/ドイツ漆喰
天井/梁表し、既存+ラワン合板
設備
厨房機器:オリジナル
衛生機器:LIXIL、サンワカンパニー
窓・サッシ:既存+ベルックス
設計/廣部剛司建築研究所
施工/冨祥工務店
撮影/川辺明伸 ※情報は「住まいの設計2021年6月号」取材時のものです