52歳の漫画家・古泉智浩さん。古泉さん夫婦と母(おばあちゃん)、里子から養子縁組した7歳の長男・うーちゃん、里子の3歳の長女・ぽん子ちゃんという家族5人で暮らしています。 今回は、自身の父親の思い出と、叱り方について。
当時31歳だった父親と、今52歳の古泉さん。その子育ての違いとは
前回、テレビを親にあまり見せてもらえなかったことについて書いたのですが、そんなことを考えていたら子どもの頃のことをいろいろと思い出してきました。
僕の父親は体が大きくて顔もいかつくて、声も怖くて、常に怒られるのではないかと怯えていました。なるべく顔を合わさないようにしようと避けてもいました。
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しかし、よその会社員のようなお父さんと違って、うちは個人商店を営んでいて、自宅を兼ねていたため一日中父親が家にいます。学校から帰ると父親が相撲を見ながら昼寝をしています。
時々、商店街の会合などで夜に父親が不在のときは本当にうれしくて、ドリフやひょうきん族を見たものです。学校も全然好きではなくて行きたくなかったけれど、家には父親がいるので学校には休まず行っていました。そういうわけで常に怯えて委縮しているような子ども時代を送っていました。
●当時31歳だった父親と、今52歳の古泉さん。その子育ての違いとは
しかし、僕は父親が25歳のときの子どもなので、小学生のときはまだ父親は30代の若者です。僕は今、52歳ですっかりおじさん、というか軽くおじいさん。30代で店を経営して家族を養っていたら、心に余裕がないときも多々あったことでしょう。それは厳しくもなるというものです。
当時は今と違って、子どもに対しての意識も全然違います。体罰など、むしろ奨励されていたくらいです。
僕は一人っ子で、それなりにかわいがってもらっていました。日曜日に父親と二人っきりでドライブに行くのですが、正直なところあまり行きたくなかった。父親は気を使ってくれていたと思います。
フィールドアスレチックにもよく連れて行ってもらいました。運動が苦手なヒョロガリのモヤシにはあんまりおもしろくなくて、父親は当時はやり始めていたスケートボードに乗っていました。僕は怖くて乗れませんでした。
父親にとって、僕は弱々しく情けない子どもで、男のくせにだらしないと思っていたのではないでしょうか。しかし、父親に怯えて委縮していたせいで、本来の自分よりますます弱々しくなっていたはずです。子どもを委縮させるなんて、よくない育児です。
●若い父親の思い出はとても暖かいものとして心に残っています
大学進学で上京して親元を離れたときに、水面からようやく顔を出したようなすごい解放感があったことが記憶に鮮明です。そうして初めて委縮しない暮らしができるようになり、今に至ります。
今はけっこう活発で、コミュ力も高い男です。子どものときから委縮してなかったらもっと元気な子ども時代を送って、運動したりして、バスケ部に入ったりして、思春期も恋愛ができていたのではないでしょうか。そうしたら変な漫画も描かずにすんでいたはずです。
恨みがましい内容になっていますが、今は父親の思い出はとても暖かいものとして心に残っています。武骨で不器用な若い父親として必死だったと思うんですよね。