年齢を重ねるなかで、人とのつき合い方や、日々の出来事の受け止め方が変わってきたという人も。今年、富山県へ移住し、ひとり暮らしを送る著述家の中道あんさん(60代)が、友人との出来事をきっかけに振り返った、「手放してラクになった考え方」についてつづります。

植物と中道あんさん
著述家の中道あんさん(60代)
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思わぬ「失敗」に落ち込むか、気にならないか

同世代の友人が、富山県にあるわが家へ遊びに来てくれたときのことです。

最寄りの駅に到着する頃、友人からあわてた様子で電話がかかってきました。

「電車のドアが開かなくて、降りられなかった~!」

普段は自動ドアに慣れているので、駅に着けば勝手に開くものだと思い込んでいたそうです。ですが、地元の電車は自分でボタンを押してあけるタイプ。気づいたときには電車が動き出していたのだとか。

その後も、ICカードを見失って探し回ったり、トロッコ列車に乗る時間を間違えたりということが続いたそう。友人は「大失敗した…情けない」と落ち込んでいましたが、私にとっては「だれにでもあること」に思えました。

「どうして気にしないの?」と聞かれて思い出したこと

旅が終わったあと、友人が自身のブログで私との出来事を書いてくれました。

タイトルは『人の失敗に執着しない人』。もし自分の家族が同じミスをしたら、「なんで確認しなかったの?」「どこにカードを入れたの?」としつこく問いつめてしまうのに、私が何事もなかったかのように流したのが不思議だったそうです。

その言葉をきっかけに、私自身も、なぜ友人の失敗を気にしなかったのかを考えてみました。

そこで思い出したのが、かつて母との関係で悩んでいた頃のことです。

母との関係を通して変わった考え方

昔の私は母とぶつかることが多く、「態度が悪い」「言い方が悪い」と責められるたびに「期待に応えなきゃ」と無理をしていました。

けれど、相手の気持ちまで私がどうにかすることはできません。「もっとこうして」という期待に応え続けることに疲れ、少しずつ「すべてを自分が背負わなくてもいい」と考えるようになりました。

そして、終わったことを何度も思い返すよりも、「もう終わったこと」と一区切りつける。その方が、私自身はラクに過ごせることにも気づきました。