記念日や誕生日に必ずかかってきた電話やお祝いカード

カード
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義母が亡くなって最初に私たちも子どもたちも気がついたのは、誕生日や記念日に電話やカードが来なくなったことでした。

義母は病床に伏すことも多かったのですが、そんなときも義父が代わりに電話をくれていました。私たちは自発的に義父がしていると思っていたのですが、じつは義母が義父に「今日はあの子の誕生日だから電話しておいて」と頼んでいたからできていたことだったそう。

彼女がいなくなった今、義父は記念日や誕生日を覚えるのが苦手らしく、電話はかかってこなくなりました。最近、子どもたちは「おじいちゃん、忘れたの? 今日は〇〇の誕生日だよ」と電話をかけて教えるそうです。

義母が大切にしていた、記念日や誕生日だけが書き込まれていて毎年使える「永久カレンダー」はこうやって役に立っていたのだと思いました。

クリスマス前のプレゼントと歓迎の手づくりお菓子

お菓子

義母が亡くなってから、クリスマス前のプレゼントの習慣もなくなりました。

キリスト教信者だった義母はとてもクリスマスを大切にしていたので、1か月前くらいになると、小さなプレゼントがたくさんつまった小包を送ってくれました。クリスマスを待つ間のワクワクを伝えるためです。

そこに入っている小さな本を読んだり、お菓子などをいただきながら「今年もクリスマスがやってくる」と感じたものです。

●手づくりのお菓子が懐かしい

そしてもう1つ、この夏フランスに帰省して寂しかったことは、再会を喜び、歓迎の気持ちを込めてつくってくれていたお菓子がなくなったこと。ぜいたくですが、フランス人のお母さんやおばあちゃんは、久しぶりに子どもや孫が帰省するとき、みんなが大好きなお菓子を焼いて待っていてくれることがよくあります。

再会して挨拶が済んだら、荷物を置いてイスに腰かけ、まずはお茶やコーヒーとお母さんのお菓子でホッとする、というのが習慣でした。

ですから、義父がにっこり迎えてくれたのはもちろんうれしかったのですが、灯りがついていないキッチンと、オーブンからおいしそうなお菓子のにおいがしてこない家は、まるで眠っているように感じました。家の中の太陽がなくなったようでした。

なくなってから気づかされるさりげない心遣い

こうしてみると、本当に些細な心遣いばかりなのですが、その1つ1つを義母は忘れないで行っていたのですね。それは家族のことを常に考えているからなのでしょう。

当然だと思っていたものがなくなって、やっとその大切さに気づかされています。