読書の秋、お子さんにいい本と出会ってもらいたいと考える親御さんも多いのではないでしょうか。1冊の本が、人生に大きな影響を与えることもあります。“アリ先生”として活躍する岡山理科大学教授の村上貴弘さんは、小学生の頃、「ムツゴロウさん」こと畑正憲さんの著作に出合ったことが、進路を決める大きなきっかけになったと言います。村上さんの少年時代のエピソードを伺いました。
※ この記事は『アリ先生、おしゃべりなアリの世界をのぞく』(扶桑社刊)に掲載された内容を抜粋・再編集しています
すべての画像を見る(全5枚)「自分は将来、自然を破壊する側にならない」
小学生時代、とにかく街の変わっていくスピードがすごかった。慣れ親しんだ田んぼや畑は消え、道路が拡張され、団地や商業ビルができて人々が集い、にぎわっていった。
大人たちは自然を克服する対象ととらえ、できるかぎり人間の都合のいいように改変し、コントロールする。そしてそこから、できるかぎり効率よく現金化できるよう工夫する。
第2次世界大戦後の高度資本主義社会の基盤は、簡単に言ってしまえばそういうことだ。
しかしながら、それは子どもたちから自由でナチュラルなワクワクする体験を奪うことでもあった。僕にはそれがどうにも受け入れられなかった。
自然がどんどん失われていくことへの恐怖や嫌悪感だけではなく、「自分は将来、自然を破壊する側にはけっして立ちたくない」という強い思いも出てきて、社会が向かっている方向とのずれを、早くも小学3年生で深く認識してしまった。これは人生不安になる。
●世の中への不満をぶつけた父親の反応は…
そんな嫌悪感や不安を、父親にぶつけたこともある。
戦中、大変な苦労をしながら育ち、さらにもっと苦労しながら日本を復興に導いた世代の父親は、とにかく手厳しかった。
「自然が大事って言うが、人間の生活の方が大事に決まっているだろう?」
「道路ができて生活がラクになる人がいる。そういう人に不便を強いるのか?」
「今だって、電気やガスで便利な生活をしているじゃないか」
まだ、小学生だ。経済合理性や人間のQOL(クオリティ・オブ・ライフ。生活の質のこと)を真正面から説かれたら、ぐうの音もでない。毎回、半泣きで反論し、腹が立って父親のビールっ腹に思いっきり嚙(か)みついたこともあった。
ドロバチの観察をし、八木山で化石を掘っているときには、そんな不安をひととき忘れることができたが、「僕はちゃんと自然を壊さない側にずっと立っていられるのだろうか?」といった思いは、心の中から消えることはなかった。