息子である「僕」が、お父さんとのなにげない日常や、親孝行をテーマにしたコンテンツを投稿するYouTubeチャンネル「親子バラエティ」は、「有名になりたい!」というお父さんの夢をかなえるために始まったそう。家族の仲睦まじい様子や、大胆な‟親孝行”が大人気で、登録者数は60万人を超えています。ここでは反抗期のエピソードについて、息子と父親それぞれの視点から紹介します。
※ この記事は『お父さんの夢を叶えたら家族が愛で溢れました』(KADOKAWA刊)より一部抜粋、再構成の上作成しております。
すべての画像を見る(全4枚)息子の場合:優しいと言われる「僕」にも反抗期があった
「どうしたらこんなに親思いの子どもに育つのか?」というコメントをいただくことがあります。ですが、僕は生まれてからずっといい子だったわけではありません。親に迷惑をかけた経験は、だれしも必ず持っていると思います。もちろん僕にもあります。
僕の反抗期が始まったのはたしか小学生の頃。当時はとにかく両親に叱られるような悪さばかりしていました。宿題をしないで長時間ゲームをする。そのおかげでゲーム機を隠されるけど、家じゅうを探し回って見つけて、またゲームをする。夜遅くまでYouTubeを見る。部屋を散らかして片づけない。お手伝いをさぼる――そのたびに母に叱られました。
学校の授業中にふざけたり寝たりする。授業を抜け出して遊びに行く。友達とケンカをしてケガをさせてしまう(僕もひどいケガを負いましたが)。母を汚い言葉で呼ぶ――そんなときは父に叱られました。
これだけ書き出すと完全に不良です(笑)。幸いにも、学校での悪行は小学生でだいたい卒業したんですけど。
普段はふざけていることの多い父ですが、いわゆる“昭和の男”なので、僕を叱るときはなかなかの荒療治で、正直、令和の時代にはふさわしくないやり方もありました。とくに、人に迷惑をかけるとか、人を傷つけることを僕がしてしまった場合は、人一倍きつく叱られました。
でも、当時は“愛のムチ”も当たり前で、それだけ父が怒るほどのことを僕はしてしまっていたんだと、大人になってからは理解しています。子どものときはただただ怖かったけれど、ただでさえ反抗していた僕だから、きっと言葉だけで倫理観を育むことは難しかっただろうと、今は納得しています。
全力で大切なことを示してくれた父
叱られなければいい子に育つわけでもない。ずっといい子だったのに、成長するにつれて悪い道に走ることもある。ちゃんと叱られてきたからといって改心するわけでもない。叱られてどう感じるか、どう育つかは人それぞれです。
僕らが健康に生きて、いずれ迎える人生の岐路で、たくさんの選択肢から歩むべき道を選べるように気を配ってくれた母。言葉数は多くないけど、人として誤ったことをしないよう、全力で大切なことを示してくれた父。
教育には万人に通用する正解なんてなくて、ただ、ひとつの家族が自分たちなりに家族同士で向き合ったかどうか、そしてそこに愛情があったかどうかのほうが大事なのではないでしょうか。両親の教育方針や僕がどんな環境に置かれていたかを振り返ると、そんな気がしています。
まだ親にもなっていない僕がなんだか偉そうですが、僕たち家族は間違いなくその手順を踏んだのだと思っています。