「ちょうどいい加減」に気づくと暮らしが快適に
すべての画像を見る(全2枚)一方で、やってみて上手くいかなかったこともあります。家に泊まりに来た友人の手があまりにもしっとり美しかったので理由を聞くと、水仕事のときは必ずゴム手袋をつけるなど、丁寧に手をいたわっていました。
さっそく私も真似しようと思ったのですが、毎回手袋をつけるのは少し面倒。そこで、備えつけの食洗機を使ってみることに。洗い物の手間自体を減らそうと思ったのです。
でも、汚れを落とす予洗いや、食器をきれいに並べる作業が性に合いません。フライパンなどの大きな調理器具が入らないことにも、ついイライラ。「これなら、自分でササッと手で洗った方がよっぽど早い!」と、食洗機を使うのはすぐにやめてしまいました。
世間で「よい」とされていることや便利な道具でも、自分の暮らしに合うとは限りません。「ちょうどいい加減」は、頭で考えるのではなく、実際にやってみて初めてわかるものなのだと実感しました。
●「もっと」より「少なめ」を選んだ方が心地よかった
若いころの私は、いつでも「もっと」の方に目が向いていた気がします。もっとがんばる。もっと便利に。もっと効率よく。
でも、満足というのは「もっとたすこと」の先にあるとはかぎりません。たりないものをたしていくばかりではなく、「私はこれだけあれば十分」と気づけることこそが、暮らしの心地よさなのだと思います。
「これくらいでいい」には、どこか妥協やあきらめが混ざりますが、「これくらいがいい」は、自分で選んだ心地よい満足です。
今夜も、湯船のお湯は胸の下くらいまで。足先はしっかり温まって、長く入ってものぼせない。お風呂上がりに背中へ冷たいシャワーをサッと浴びて、シャキン! とするのが私のお気に入りです。
たっぷりのお湯も、濃い味つけも、毎日の暮らしには必要ありませんでした。「これくらいでいい」ではなく、「私には、この少なめくらいがいい」。そんな自分なりの「ちょうどいい加減」を楽しめるようになったのも、60代ひとり暮らしの醍醐味かもしれません。
