SNSを開けば、ほしい情報がすぐ手に入る時代。それでも本には、ページをめくるからこそ出合える言葉や気づきがあります。この連載では、ライター・エッセイストの佐藤友美(さとゆみ)さんが、今読んでほしい一冊を紹介します。

小説『スピノザの診察室』書影
話題の小説『スピノザの診察室』
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男も女も惚れる「マチ先生」とは

2026年初夏。私の周りで今、最もアツい男といえば、京都に住むという内科医・雄町哲郎(おまち てつろう)だと思う。通称、マチ先生だ。

マチ先生は、話題の小説『スピノザの診察室』の主人公である。大学病院でのキャリアを捨て、町の医者として地域の人々の健康に寄り添うマチ先生。訪問診療もするし、看取りもする。

この『スピノザの診察室』と続編『エピクロスの処方箋』を友人知人にすすめまくった結果、気づけば、私の周りはライバルだらけになってしまった。

「ヤバい、マチ先生のファンになってしまった」
「マチ先生に抱かれたい」
「というか、看取られたい」
「死亡診断書、書かれたい」

友人たちが口々に言う。ちなみに、抱かれたいとおっしゃったのは、50代の紳士だ。

女子トークの場では、

「でも、マチ先生に診察されるってことは、脱ぐわけだよね。ダイエットしなきゃ恥ずかしい」
「いや、入院する頃なら、それなりにやせてるのでは?」
「そうか。だったら安心か」
「え、私はもっと健康な時期に出会いたい!」

といった、ちょっとイッてる会話も交わされた。老若男女をとりこにしてしまうマチ先生、おそるべし。

「死ぬ」って、そんなに怖いことじゃないんだな

スピノザの診察室
さとゆみメモ

マチ先生、そしてこの小説『スピノザの診察室』と『エピクロスの処方箋』(以下「スピ&エピ」)は、なにがそんなに魅力的なのか。

ファンの端くれとして、考察してみたい。

仕事柄、おすすめの書籍を聞かれることが多いのだけれど、小説は正直難しい。年齢、性別、趣味嗜好にもよるし、喜ばれるときもあれば、イマイチだったと言われることもある。

ところが…! この「スピ&エピ」は、どんなタイプの人にも、百発百中で「おもしろかった」「すすめてくれてありがとう!」と言われる。

それはきっと、この小説に登場する人たちのささやかな生活の営みが(とくに、遠くない未来に「死を迎える人たちの営み」が)、どれもこれも「自分ごと」だからではないか。そして、看取る方、看取られる方の双方に浮かぶ「問い」が、やはりどれも「自分ごと」だからではないか。

病気はすべて「治す」べきものなのか。
病気になることは「悪い」ことなのか。
そして、人間の「幸せ」とは、なんなのか。

こうやって文字にすると重厚なテーマだけれど、「スピ&エピ」の中でのそれらは、私たちに身近な日常の延長線として描かれている。

とても自然で、温かくて、”寂しくない感じ”で描かれるのだ。

マチ先生は言う。
「がんばらなくても良いのです。ただ、あまり急いでもいけません」

そんなマチ先生の言葉に触れ、思う。
「ああ、死ぬのってそんなに怖いことじゃないんだな」って。

私はいつか死ぬ。愛する人もいつか死ぬ。全員死ぬ。

だけど、それは残念なことばかりではない。とても自然で、幸せだった時間の先に訪れる“おしまいの形”なのだなと感じられる。

そんなふうに思えたのはきっと、登場する人たちがみな、マチ先生に人生を肯定されていくからなのだろう。

病気になったのは、あなたが何か悪いことをしたからではない。治らないのは、負けることではない。

そんなふうに言われながら、マチ先生に看取ってもらえたら、人生最後のごほうびだなあ。