子どもを自然と触れ合わせたい、自然を好きになってほしい…。これは、子育て中の親の多くが悩むことかもしれません。“アリ先生”として活躍する岡山理科大学教授・村上貴弘さんは、親に心配されながらも大好きな昆虫観察や化石採集を行う、「好き」にまっすぐな子ども時代を送ったといいます。小学生時代の“開発反対運動”や、「サラリーマンにはなれない」と早くから感じていたことなど、自然と触れ合ってきた経験について伺いました。
※ この記事は『アリ先生、おしゃべりなアリの世界をのぞく』(扶桑社刊)に掲載された内容を抜粋・再編集しています
すべての画像を見る(全7枚)毎日2時間も3時間も虫を観察し続けた少年時代
泥にまみれ、草はらのなかで虫を追いかけ、生き物への好奇心を膨らませていた僕の小学生時代。世の中的には高度経済成長期の終盤であり、田中角栄が掲げた「日本列島改造論」によって地方の開発が進んだ時代でもあった。
僕の生まれた年に着工された東北新幹線は、着々と工事が進み、仙台にもようやく新幹線が来る! と大人たちは目を輝かせていた(盛岡―大宮間の開通は1982年、この年、僕は仙台から札幌に引っ越しをした)。
ものすごい勢いで周りの環境が変わっていった。道路は次々とアスファルト舗装され、大きな鯉を捕ったり、ザリガニ釣りをしたりした池は埋め立てられ、川はフタで閉ざされた。
じりじりとなにかのタイムリミットが近づいている予感がしていた。
●高度経済成長に抱いた違和感
ある朝、いつものように学校に行こうと家を出ると、家の裏にあった広大な草はらに大きな盛り土が出現していた。聞けば、建売住宅ができるという。うそでしょ?
大人が立ち入るのを嫌がるのをいいことに、子どもだけの楽園になっていた草はら。さまざまな生き物の暮らしを見せてくれた僕たちのメインフィールドがなくなるの? 楽園が壊される。これは許せるはずがない、と思った。
僕は開発反対運動をはじめることにした。一夜にして出現した大きな盛り土は開発の象徴。うずたかく積まれていることには意味があるに違いない。だとしたら、この盛り土を崩せば住宅の建設は止まるはず――。
そう考えた僕は、遊び場を奪われた憤りを同じくする同志(友達)とともに、盛り土の山に登って土を崩す作戦に出た。
「この土を真っ平らにすれば、開発は止まる! みんながんばるぞ!」
「おー!」
「ふふふ。これで、工事もできまい! 子どもをなめるな!」
家から持ってきたシャベルを振るう僕らを見て、大人たちは「楽しそうにどろんこになって遊んでいるねぇ」くらいに思っていたかもしれない。が、僕たちにとっては真剣な闘争だった。あのとき、僕たちは間違いなくアクティビスト(社会運動家)だった。
●終わりを迎えた抗議活動
そんな、反対活動を始めて1か月ほどがたった頃だろうか。その日も活動すべく盛り土のある草はらに向かうと、景色がまた一変していた。
緑の草地も盛り土もすべてなくなり、一面が真っ平に茶色の土に覆われていた。盛り土がきれいに崩され、整地されていたのだ。
「ん?」
同志の視線はいっせいに僕へと向く。
「村ちゃん、土は崩すものだったの??」
盛り土を崩して工事の進行を邪魔していたはずなのに、僕たちのやっていたことはレジスタンスどころか、むしろ、土を崩す手伝いになっていたのだ。
抗議活動はこうして終わりを迎えた。僕らは翌日から工事の音が響くなか、学校に通った。
「あの草はらを僕らから奪うなんて、ひどい! こんなことがずっと続くわけがない」
自然環境に対する意識が、僕のなかでひとつの大きな価値基準となった瞬間だった。小学校3年生の夏のことである。