自分の人生のはずなのに、どこか他人事になる理由
「毎日がつまらない」と嘆いている人は、目の前のことに必死になったり、夢中になったりしたことがない人なのかもしれません。そんな人がたとえ旅行に行ってもおもしろくありません。
だれかが一生をかけて造った建築物を見ても、芸術作品の前に立っても、原爆ドームのような悲惨な過去を目の当たりにしても、「あ、これ、前にガイドブックで見たあれね」で終わってしまう。
日常生活のなかで真剣勝負をしたことがない人は、それがどのような意味を持つのか、どんなにすばらしいことなのか、リアルに感じ取ることができないのです。
最近は、職場などで新人が湯呑みを割っても、「割れたものは元に戻らないからしょうがないよ」と言われて終わります。過失をしても、それが過失と扱われず、深く反省して謝り、場合によっては弁償するという機会を失っています。深刻に対処する事態を経験して自分に耐性をつける必要もなくなります。
心を鍛える機会がない現代の「日常」は、リアルを感じられないガラスのハートを大量生産しているともいえます。
ガラスのハートの人たちは、どんな人生を送るのでしょう。目の前のことに責任感や覚悟を持たず、自分の人生のはずなのに、どこか他人事で、リアリティのない人生になってしまいます。
「こんなはずではなかった」「もっと彩り豊かな人生を送りたかった」と、一生を終えることになってからでは遅いのです。
武道の世界でも同様のことがいえます。本番だけがんばればいいと、日頃の練習では気を抜き、適当にこなしていると、いざ本番の試合のときに勝つことができません。日常と本番を分けず、常に真剣勝負だと思い、気迫に満ちた練習をしている人だけが勝利を手にすることができます。
自分がなにかに真剣に取り組んだことがあり、失敗したり、痛手を負ったりしたことのある人は、命がけのすごさがリアルに実感できます。すると、この世界が無限の学び、無数のドラマに満ちていると気づき、目の前のことに常に真剣に臨めるのです。
それは、仕事でも勉強でも、受験でも同じことです。勝負のときだけ勝とうとするのではなく、一瞬一瞬、ひとつひとつを真剣勝負で向き合うことが大切です。1日24時間×一生となると、その積み重ねの成果は計り知れません。
地道に10年、20年と積み重ねた結果、周囲からの信頼感も含め、すべてにおいて、圧倒的な差ができ、突き抜けて異彩を放つ人になれるのです。
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※ この記事は、文庫『最後にあなたを救う禅語』(扶桑社刊)より一部抜粋、再構成のうえ作成しております
