日本が14年ぶりの優勝を成し遂げたWBC。大谷翔平選手は二刀流として活躍し、MVPを獲得しました。それを記念して、過去にESSE onlineに掲載し、反響の大きかった「大谷翔平選手の少年時代」についての記事を改めて掲載します。※記事の初出は2018年4月

大谷翔平選手
大谷翔平選手

23歳という若さで海を渡り、メジャーで新たな伝説を紡ぎ始めた大谷翔平選手。礼儀正しく誠実で、着実に夢をかなえていく姿に、「いったいどんな子育てをしたら、あんな人間に育つのだろう」という声も多く聞かれます。そこでESSE編集部では、大谷選手を高校1年生のときから追い続け、8年に渡って信頼関係を築き上げてきた、スポーツライターの佐々木亨さんに話を聞きました。

実家のリビングに自然と集まる…大谷翔平選手の少年時代とは

メジャーリーグ・エンジェルスでの活躍ぶりに、日本のメディアのみならず、ご当地アメリカでも「アメリカンドリームはまだ存在した」と大絶賛の大谷選手。

そんな大谷選手をよく知る佐々木さんがまとめた『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』(扶桑社刊)は、ご両親や花巻東高校の恩師、そして栗山英樹監督をはじめとする日本ハムファイターズの関係者の方々からの話をもとに、その軌跡と裏側を追った渾身の一冊です。

――さっそくですが、大谷選手は、なぜ、契約面で大きく変わる25歳を待たずに、今メジャーに行く決断をしたのでしょうか。

「大谷選手は『不完全な状態のままでメジャーに挑戦したい。僕のなかでは“今、行きたい”という気持ちがあったので、その思いを行動に移したというだけなんです』と言いました。『やりたいことには変えられない。今行くことで、今以上のことを身につけられることもあるのでは』と」

――まさに、「他人の価値観ではなく自分の信念を貫く」ということですね。女性ファンのなかでは、「どうしたら、あんな子どもに育てることができるのか」という声が多く聞かれますが、ご両親はどんな子育てをなさったのでしょうか。

「ご両親、お兄さん、お姉さんの5人家族の大谷家は、家族そろって食卓を囲むのが当たり前でした。学校から帰ってきた子どもたちは、一階のリビングに置かれた一家に一台のテレビを眺めたり、勉強するときも自然とそこに集まったといいます。

子ども部屋はありましたが、大谷家は玄関からリビングを通らなければ自分の部屋に行けないので、いつも家族が見えるところにいたそうです。大谷選手はそこにあるソファで、遊び疲れて帰ってくるとよく寝ていたとか。

これといったしつけはなく、ごくごく普通。ご両親は『おはようございます、おやすみなさいを言う。自分で食べたものは自分で片づける。そんなごく当たり前のことを親が率先してやれば、その姿を子どもたちは見て自然とやるようになるのかな』と思っていらしたそうです」

――礼儀正しく、誠実で、純粋さを失わない真っすぐな生き方というのは、佐々木さんが本で書かれているとおりですね。これからますますその活躍が楽しみになりますが、大谷選手の究極の目標とは、どんなものなのでしょうか。

「『メジャーのトップに行きたい』『長く野球を続けたい』『なにか新しいことを、他人がしたことのないことをやりたい』。この3つを挙げてくれました。彼なら必ずやり遂げると信じています」

道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』は、大谷選手が渡米前、本書だけに「エンゼルスを選んだ本心」などを語り、「僕のこれまでがつまった一冊です」というメッセージを託したことでも話題に。今まで明かされなかった大谷選手の素顔を知ることができる一冊です。

道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔 (扶桑社BOOKS文庫)

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