料理家・高山なおみさんが、心のお隣さんのように感じる十二人を訪ね、それぞれの「オハコ料理」を教わる旅に出かけました。京都から沖縄まで、台所のにおい、手の動き、言葉を見つめながら、料理を通してその人の生き方を感じ取っていきます。今回は、発売中の著書『となりのオハコ』から、絵本作家・加藤休ミさんの台所を紹介。加藤さんに教わってから、高山さんもよくつくるようになった「白い白和え」などのおつまみを、台所に流れる時間とともに一部お届けします。
※この記事は『となりのオハコ』(扶桑社刊)より一部抜粋・再構成のうえ作成しています。
すべての画像を見る(全4枚)休ミちゃんのおつまみ
このところ私は、休ミちゃんに教わった白和えばかりつくっています。ほんのり甘い絹ごし豆腐のクリーミーな和え衣に、具は潔く釡揚げしらすだけ。普段私がする白和えよりも少し甘めなのだけど、ほわっとしたしらすの塩気とごまの濃厚さにはどんぴしゃな甘み。おいしくて、やさしくて、すり鉢を抱えたままお匙ですくって、ひとりで平らげてしまいそう。
この白和えを食べるようになってから私は、ごまは炒らなくても十分に香ばしいし、具もごたごたと加えない方が、お豆腐自体の風味を味わえていいなあと思うようになりました。
絵本作家の加藤休ミちゃんにはじめて会ったのは、私がまだ東京に住んでいたころ。編集者で、京都・三条のギャラリー「nowaki」の主でもある筒井大介さんに、新しくつくる絵本のことで会いにいったんです。打ち合わせを早々に終えた私たちは、展覧会の最中だった休ミちゃんと彼女の絵に囲まれ、ビールや日本酒を飲みました。
はじめて見る休ミちゃんの魚の絵は、なんだか凄みがありました。描いているところを想像すると、気が遠くなりそう。その日の驚きを日記に書いたので、少し引用してみます。
「秋刀魚でも鯖でも、ものすごく微妙な光までみっちり描き込んである。絵は実物よりも小さいから、ものすごく細かく。目玉もウロコも、お腹の膨らみも、生きた魚が壁に貼ってあるみたい。クレヨンで描いてらっしゃるそう。私は眼鏡をかけようとしてやめた。裸眼で見ても、虫眼鏡で見ているような、自分の目がうんとよくなったような感じになるから。生きている魚より、もっと生きている」
あの日はあっという間に夜になり、旅先なのにすっかり酔っぱらってしまった私は、十八歳も年下の休ミちゃんの腕につかまって、最終近くの新幹線で東京に帰ったのです。
それから数年後、東京にも拠点をおきながら、倉敷の平屋でひとり暮らしをはじめた休ミちゃん。いつだったか、庭で採れたいろいろな大きさの夏みかんを、段ボール箱いっぱいに送ってくれたことがありました。
私はその酸っぱい夏みかんで、マーマレードやケーキ、ちらしずしをこしらえたっけ。神戸のギャラリーでばったり会った彼女を誘い、うちの台所でビールを飲みながら、本格的なカレーをつくったこともあります。よく炒めた玉ねぎとスパイスでこげ茶色になったお鍋に、トマトペーストをちゅるっと絞り入れたとき、まるで休ミちゃんの絵を見ているようで、いつか一緒にカレーの絵本をつくれたらなあと、胸を膨らませたものです。
彼女はのんべいさんだから、お酒に合うおつまみのオハコがきっとあるにちがいない。それで夏みかんが実るころに、休ミちゃんの家に教わりにいくことにしました。
倉敷駅で待ち合わせをし、商店街の近くにあるなじみの八百屋さんへ。店頭には見たことのない柑橘類や、岡山県産のレモンにキンカンが。決して大きくはない八百屋さんなのだけど、地元で採れたみずみずしい野菜が整理されながらずらりと並んでいて、いかにも野菜好きの店主が営んでいる感じがします。そして、どれも安い!
私たちは大きなにんじんと、連島(つらしま)ごぼう、近所のお豆腐屋さんの絹ごしを一丁買いました。あんまりおいしそうだったから、自分用に厚揚げとがんもどきも。そのあと、長い石段を上り、阿智神社でお参りをしました。
休ミちゃんの台所は、とってもコンパクト。IHのひと口コンロが一台と、調理道具も必要最低限。冷蔵庫の上の小さなラジオから、中国語ののどかな声が聞こえてきます。休ミちゃん、語学学習の番組が好きなのだそう。
窓辺が広々としているのは、湯沸かし器がないから。おかげで光がよく入り、窓を開ければ竹林も見えます。春にはここで、筍が採れるんだそう。掃除のいき届いた床に、ぽつんと立っている石油ストーブは、親しくしている近所の古本屋の女主人からのいただきもの。これさえあれば、部屋を温めながら洗い物のお湯が沸かせるし、お鍋をのせればとろ火の煮炊きもできる。休ミちゃんはあるもので工夫するのが好き。遊牧民のような台所を目指しているんですって。<後略>


