不便な環境で感じた心地よさ。緩やかなデジタルデトックス
すべての画像を見る(全6枚)そんな中、父のスマホ問題からまもなくして、先日仕事で八ヶ岳に長期滞在をすることとなりました。
たまたま宿泊場所にはテレビがなく、周りは静かな森に包まれていて、いちばん近いコンビニまでも歩いて40分という場所です。
はっきり言って「不便」な場所と言えるかもしれませんが、なんとその心地のよいこと!
1日の時間がゆったりとしていて、スマホはつながる環境でしたが、なるべく触らないことに。その時間は読書に代わり、緩やかなデジタルデトックスを味わうことができました。
便利さよりも豊かさを。年を重ねるということ、これからの生き方
八ヶ岳での数日間で感じたのは、「不便な環境は、意外と豊かなのかもしれない」ということ。
私たち昭和世代は、世の中がみるみると便利になっていく過程を肌で感じ、ワクワクと若い頃に過ごしてきました。
新しい機械が出るたびに飛びついては、進化した機能に興奮したものです。それなのに、正直なところ進化する事柄があまりにも多くなり、この環境に少し飽きてしまいました。ちょうどよい加減の時代は、瞬く間にとおり過ぎた気がします。
若い頃は手先が器用で、どんな機械も分解してでも修理してくれた父が95歳になって抱えるジレンマは必ず私にも生きていれば訪れる現実です。
ならばまだ猶予のある今、敢えて不便を探して日々を生きてみるべきなのではないだろうか。自炊の中でのひと手間であったり、外出前に目的地をスマホではなく地図を広げて場所を確かめてみたり。
便利さよりも豊かさを求めて、年を重ねたいと痛烈に感じたのです。なぜなら、長く生きていれば私の肉体そのものが、いずれ不便になっていくことは免れないのですから。
そのことをきっと受け入れられることができるように、豊かに今このときを積み重ねたいと思っています。

