道筋を示して実現させることが重要である

若き日の三國シェフ
若き日の三國シェフ(『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』(扶桑社刊)より)
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では、僕がどのようにやってきたのか。ポイントは、「道筋を示す」ことだ。

自分が全体のなかのどこでなにをやっていて、今習得している技術が身についたらその次はどうなるのか。それを示さずに、ただ「これをやっとけ」ではモチベーションが保てない。

フランス料理の場合は、100年前にフランス料理を体系化したオーギュスト・エスコフィエがつくり上げたピラミッド型の調理システムがある。「オテル・ドゥ・ミクニ」のようなグランメゾンと呼ばれる店では、これにならって部門ごとに作業が進み、最後にそれを組み立てて料理が完成する。僕はこれを使って道筋を示してきた。

チームは、肉担当、魚担当、野菜担当、ソース担当、盛りつけ担当などに分かれる。店の規模にもよるが、各部門に見習い、シェフ、セコンド・シェフがいる。

ミクニで10年がんばれば、どこへ行っても通用する

僕の店では、1つの部門を担当する期間は短くても1年。その部門に専念し、僕のOKが出たら次の部門へ進む。もちろんOKがもらえず3年がかりなんてこともある。全部回るのに早くて10年。

駆け出しの頃は、果てしなく高い山を登っているような気分になるらしい。だからこそ、自分が今そこでなにを身につけなければならないのか、それはこの先なににつながっていくのかというゴールまでの道筋を明らかにしておくことが必要なのだ。納得すれば、苦しくてもそう簡単にはあきらめないし、人は自分で育っていくこともできる。

僕のやるべきは、「ミクニで10年がんばれば、どこへ行っても通用する料理人になれる」ということを示し、それを実現させてやることである。店から店へと渡り歩いて修業してきた僕がこう言っちゃなんだが、腕を磨きたいなら、場所を変えるよりミクニに10年いた方がいい。その10年はその後の10年、20年のための財産づくりの期間だ。

そして、「ミクニで10年がんばった」こと自体が、料理人として周囲からの評価になる。第一線で活躍している弟子たちが、それを身をもって示してくれているのはとても幸せなことだと思う。

人を見極めるなんておこがましい

採用については、昔から今に至るまでずっと苦労している。腰を落ち着けてがんばってくれる子がほしいのだけれど、これがあっさり辞めちゃうのだ。

定着してくれる率が高いのは、「自分の店をもちたい」「三國さんのようになりたい」という強い意志をもって入ってくる子なので、面接のときになんとかそれだけは見抜くようにしている。

人を見る目は、僕にはたぶんない。

どんくさいやつだなあ、と思っていた子が粘り強く努力し、突然花開いてびっくり、ということは何度もあったし、その逆ももちろんあった。人間なんてなにかのきっかけでいくらでも変われるのだから、成長するかどうかを事前に予想するなんて、僕にはとてもできない。だいたい「人を見極める」とか「磨けば光る原石を探す」とか、その発想自体がおこがましいのだよ。神様じゃあるまいし。

だから採用の段階で変なふるいにかけず、やりたい気持ちを重視して受け入れ、入ってきた子をしっかり鍛える。見る目のない僕がよさそうな子を選ぶより、その方がずうっとうまくいく確率が高いのだ。

三國シェフの新刊『三國、燃え尽きるまで厨房に立つ』(扶桑社刊)は、激動の人生を凝縮した1冊です。30歳で開業し37年間ほぼ満席だった「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店し、70歳でわずか8席の新店をオープンさせた理由とは? 昭和、平成、令和を駆け抜け、常に時代を切り開いてきたシェフが、「ミクニ」で成し遂げたこと、そして、今なお追い求める夢をつづった自伝は必見です。

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