女優・川上麻衣子さんの暮らしのエッセー。一般社団法人「ねこと今日」の理事長を務め、愛猫家としても知られる川上さんが、猫のこと、50代の暮らしのこと、食のこと、出生地であるスウェーデンのことなどを写真と文章でつづります。今回は、大人の人間関係について。かつての恋愛、友人とのわだかまり、そして40代で決断した「距離をおく」選択。60歳という節目を目前に、年齢を重ねたからこそ見えた価値観について語ります。
すべての画像を見る(全4枚)フィーカ:fikaはスウェーデン語でコーヒーブレイクのこと
60歳目前、年齢を重ねたからこそ見直したい「人間関係」
来年2月にやって来る生まれて60年の儀式を目前に、整理をしておきたいと思うことは、あふれかえっている「もの」だけではありません。それなりに生きてきたがために、抱え込んだ「人間関係」にも目を向けなければならない、そんなふうに思うのです。
先日、古いスケジュール帳をたまたま見ていたら、人間関係がずいぶん変わったなぁと実感。と同時に思い出すことも…。
心が締めつけられるような気持ちに触れながら、それでも思い出しておきたい懐かしい思い出。あれほど仲がよかったのに、いつのまにか途ぎれてしまった縁。自ら断ちきってしまった縁もあれば、もしかしたらきられてしまったのかもしれない縁もあります。
「傷ついた人間は、その事柄を忘れることができなくても、傷つけた側の人間はまったく自覚なく覚えていない」のが悲しいかな世の常のようです。
私自身、若い頃に傷を受けた言葉はふとした瞬間に今でもよぎることがあります。でもその何倍もの数、わたしも心ない言葉や態度で、だれかの心を荒らしてしまった気がします。
恋愛の思い出は、若かったなぁ…ですむけれど
思い起こせば、気の強さだけを武器にして、生きて来たところは否めず、気の強さ故に発した言葉は、今となれば恥ずかしさのオンパレードです。あの人や、あの人にも悪いことしたなぁと心当たりをたどると、胸の奥がキュンとなりこの場を借りて、謝罪したい気分になります。
こんな気持ちも年齢を重ねたからこそ味わう、やるせなさなのでしょうか。
不思議なことに、かつて、目を腫らすほど泣いて未来を断ちきらざるを得なかった恋愛絡みの別れについては、驚くほどなんの未練も執着もなく「若かったなぁ」のひと言で片付いてしまいます。
ある意味、けんか両成敗。わたしも大概だったけれど、相手も大概だったのだから仕方ない。別れても友人でいられる人もいれば、まったく縁が途絶えた人もいます。だからどうと考えることもありません。
一方、心が今になってもワサワサとするのは友人関係の中で起きた、わだかまりや、すれ違いです。信じていたからこそ、裏ぎられたと感じたときの怒りと哀しみ。