●「生き物は平等」という思想は賢治作品にも流れている
すべての画像を見る(全4枚)――賢治シリーズだけでなく、オリジナル作品の「アタゴオルシリーズ」でも、猫を人間のように生き生きと描かれていますが、描く上での工夫やこだわり、苦労されている点はありますか?
ますむら:猫を擬人化したときに難しいのは、座らせ方なんだよね。尻尾を後ろに持ち上げたまま座ったら、実際は痛いと思うんだ。だから本当は、尻尾を足と足の間に挟んで前に持ってきて座るのがいいと思うんですよ。でもそれを絵に描くと相当不自然でしょう?(笑)
体のバランスも、実際の猫はもっと胴が長くて脚は短いんだけど、絵にしたときはどうしても胴を詰めて描かないと気持ち悪い。そういうのは感覚で直してますね。
――賢治シリーズの登場人物はみんな、猫耳に合わせて耳のところがこんもり盛り上がった帽子をかぶっています。そういう設定のディテールもおもしろいですね。
ますむら:オリジナル作品の「アタゴオルシリーズ」では、帽子の耳のところが切ってあって耳がニュッと出てるんですよ。猫のかぶる帽子をそういうふうに描いた人はいないんじゃないかな。でも、それだと雨が降ったら水が入ってきちゃうから、機能的にはだめだよね(笑)。
――賢治作品を猫で描くことがますむらさんのライフワークとなり、これほど読み継がれてきたのはなぜだと思いますか。
ますむら:最初に賢治の世界を擬人化した猫で描いたときは、なにかとんでもない挑戦をした気になっていたけれど、江戸時代の浮世絵師・歌川国芳なんかは、擬人化した猫を山ほど描き残しているし、蛙や金魚を踊らせたりして自由自在。なんだ、国芳がとっくにやっていたじゃないか、と。
それに、もともと賢治の作品の中には、人間とほかの生き物を区別せず、生命体として同じじゃないかという発想が流れている。人間が特別上にいるんじゃなくて、人も猫もフィフティフィフティで平等なんだという感覚は、賢治の作品を読めば自然と納得できるんじゃないかな。
――賢治作品を猫で描くことは、結果的に賢治の描こうとした理念とも合致していたんですね。