●「賢治は猫が嫌い」を鵜呑みにするべきじゃない

ますたにひろし
1983年に刊行された『銀河鉄道の夜』は大ヒットし、1985年にはアニメ映画化もされた
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――では、『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『グスコーブドリの伝記』の賢治シリーズを擬人化した猫で描こうというアイデアも、ますむらさんから?

ますむら:賢治の話を漫画化したいともちかけたのは僕だけれど、「それなら登場人物をぜんぶ猫で描いたら?」と提案したのは、じつは当時の担当編集者の直感だったんです。結果的には、その直感に従って正解でしたね。

もし人間のまま描いていたら、時間が経ったときにタッチや絵柄が古くさくなってしまって、こんなに読み継がれる作品にはならなかったと思う。猫で描いたことで、作品の普遍性がキープされたような気がします。

(1985年に)アニメ映画化されたのも、登場人物が猫というファンタジー要素のおかげで成立したし、ヒットしたんじゃないかな。ただ当時、賢治の研究家の中にはアニメ化に反対する人もいましたね。

――え、なぜ反対されたんですか?

ますむら:賢治の初期作品『猫』に「私は猫が大嫌ひです」という一節があって、それを根拠に「猫嫌いだった賢治の作品を猫で描くなんて冒涜だ」と言うんですよ。だけど、温厚なはずの賢治がわざわざ「私は猫が大嫌ひです」なんて書くのには、作家としてなにか理由や狙いがあると思うのが普通でしょう? 研究家が表層的にしか読み取らずに「賢治は猫嫌いだ」と断じたことにびっくりしました。

悔しいから自分で調べていくと、『猫』を書いた頃の賢治は、人造宝石商になりたいという夢を父に否定され、家業の質屋の店番をいやいややらされてノイローゼ状態だったらしい。だから、『猫』に出てくる年老いた猫は、その頃の自分と父を重ね合わせているんだと思ったわけ。

――賢治が本心から「猫が嫌いだ」と書いたのではないわけですね。

ますむら:『セロ弾きのゴーシュ』にも三毛猫がひどい扱いを受ける場面があるけれど、これも調べていくと、当時、賢治に好意を寄せていた女性が三毛猫に重ね合わされているんじゃないかと思えるふしがあるんですよ。

そもそも、『猫の事務所』でかま猫の悲しみに寄り添った賢治が、単なる猫嫌いとは思えない。ただの好き嫌いを超えた複雑な思いを猫に託している、と考えるのが自然です。そこまで考察するのが研究じゃないのかな。

――アニメ化に待ったをかけてきた研究家には、ますむらさん自身が説得を?

ますむら:説得というか、文句を言ってきた研究家のところへ行って説明しましたよ。自分の賢治体験の由来や、なぜ猫で漫画を書くようになったのか、賢治を読み解くとはこういうことなんだ、というのを自分なりにね。要するに「文句を言われる筋合いはない」ということだよね(笑)。