人生どん底だった男性が、歌舞伎町で出会った野良猫「たにゃ」についてつづったTwitterが話題です。男性の名はたにゃパパさん。

「『たにゃ』のまわりに小さな花。歌舞伎町にだって花は咲く。小さな幸せでも、探して摘んで集めて生きていく。無理矢理探すんだ、、幸せだって思えることを。そうでもしないとやってられなくなるから。そうだろ?『たにゃ』」(Twitterより)と、たにゃパパさんのそのときどきの心情を、たにゃの写真とともに投稿しています。

駐車場にいる猫
歌舞伎町に住んでいた頃のたにゃ
すべての画像を見る(全7枚)

歌舞伎町の野良猫とどん底だった男が、心を通わせるまで

8月にはフォトエッセイ『歌舞伎町の猫「たにゃ」と僕』(扶桑社刊)も発売。投稿者・たにゃパパさんに、たにゃとの出会いを伺いました。

●コロナ禍の2020年、薄汚れた野良猫に出会った

――たにゃパパさんとたにゃ君の出会いを教えてください。

たにゃパパさん(以下たにゃパパ):僕は20年に渡って歌舞伎町で商いをしています。歌舞伎町は日本一の歓楽街。インバウンドもあって、コロナ前は本当に商売がうまくいっていたんです。ところが、2020年。だれも想像してなかったウイルスによって、歌舞伎町は想像を絶するほどの打撃を受けました。テレビでも観ましたよね? 歌舞伎町をパトロールする都知事や東京都の職員さんの姿を。歌舞伎町がウイルスをまき散らしている、歌舞伎町は悪だ、って報道されて。
そして僕の会社も絶望的な状況に追い込まれました。売り上げは低迷するけれど、支払いは待ったなしです。経費をどんなに削ってもお金が回らない。不安で眠れないので朝4時から出社して、なにか打てる策はないかと考えて、心身ともにヘトヘトになっていきました。金策に駆けずり回って、僕、人生で初めて土下座もしたんです。もう死んでしまおうか…と考えるほど、追い詰められていました。

子猫
2020年に出会った頃のたにゃ

そんなある日の明け方、会社で契約している歌舞伎町の駐車場で1匹の薄汚れた猫が僕をじっと見ていたんです。ここで猫を見たのは初めて。その猫は、まるで「お前、明日死んじゃうんじゃないの?」とすべてを見透かしたような目をしていて。全部わかってるよ、と言われたような気がしたんですよね。

 

●たにゃにごはんをあげることが生活の一部に

―それまでどうして猫を見かけなかったんでしょうね?

たにゃパパ:これまでもずっとそこにいたと思うんですけど、いつもにぎわっていた歌舞伎町がコロナ禍で静まり返っていたことと、僕が朝4時に出社することになった、それらが僕たちをめぐり合わせてくれたのだと思います。普段の歌舞伎町なら人が多くてたにゃは表に出てきてなかったでしょうし、普段の僕の出勤時間なら会えてなかった。明け方の奇跡です。

怒る猫
つまづいてごはんの皿をひっくり返してしまい、たにゃに怒られる…

その日から、どんなに疲れていても朝晩必ずごはんをあげに行きました。ふたりで会話するうちに、名前がないのもな…と思い、『たにゃ』と名づけました。『たにゃ』は僕の名前の一部から取っています。

たにゃにごはんをあげることが僕の生活の一部になっていきました。お金や仕事がうまくいかないと、24時間ずっとそのことばかり考えて頭がいっぱいになってしまうんですけど、そこにたにゃが割り込んできたんです。たにゃのことを考える時間だけは穏やかで、悩みから解放される気がしました。

暗闇の中の猫?
ごはんを食べたら、いつも暗いビルのすき間に帰っていく…

たにゃにだけは本音で話せるんです。雨の日も、寒い夜も、クリスマスも、バレンタインデーもたにゃと過ごして。いつしか、たにゃが僕の生きる理由になりました。