錦織一清さんによる初の自叙伝『少年タイムカプセル』(新潮社刊)。3月1日に発売されるやいなや、ファンの喜びと感動の声が SNS などを中心にあがり、Twitter でも「錦織一清」というワードがトレンド入りし、なんと発売日当日に重版が決定! 

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錦織一清さんが語る“昭和”のカルチャーと青春。「僕は昭和の生き残り」

錦織一清さん「ジャニーさんは、ピーターパンだったと思う」

錦織一清さん
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今回は錦織一清さんに、『少年タイムカプセル』でも多く書かれている、ジャニーさんとの思い出など貴重なお話を伺いました。

●タレントから演出家へシフトしたのは必然。ジャニーさんに育てられた日々

――最近、人生の節々で時代の変化や流れに合わせて働き方や生き方を変える「ライフシフト」と言われますが、錦織さんもタレントから演出家へとシフトしたように見えます。

錦織一清さん(以下、錦織):よくいつから演出の方にシフトしたんですか? って聞かれるんだけど、僕自身から言ったわけじゃなくて、ジャニーさんに「それやれ」って言われて、やったって感じだったんだよね。「少年隊」の頃からジャニーさんと一緒につくってたから、“つくる側”でもちょっとあったし。

だから、じつはあんまり自分の中でシフトはしてない。僕が舞台に出てるのか、出てないかの違いぐらいな感じがして、自分の中で何か変えたかというと、あんまり変えてないし、身構えたことがないっていうのかな。

――「少年隊」時代から作品づくりに参加されていたんですね。

錦織一清さん

錦織:レコーディングのあと、ジャニーさんに「残れ」って言われて、よくやってたね。どうして僕だったのかは、本人に聞いてみなきゃわからないですけど、クリエイティブの方に最初から入ってね、という風になってたというか。

僕、生意気だから「この方がおもしろいんじゃないかな~」とか言ってたんでしょうね、意見というかアイデアを。まあ子どもだったからね。タイトル決めるときも、単純に「こんなタイトルの方がいいんじゃない?」とかさ。

ジャニーさんがね、考えてくんないのよ、だって(笑)。「自分のことは自分でやんないと」みたいに言われて、僕も「そうなんだぁ、自分で考えるんだぁ」って。これはもう結構最初の方からそういう風に言われてたんです、じつはね。

だから幼いながらも、「うんじゃあ、歌詞もちょっとここら辺こうで」ってジャニーさんと一生懸命やったりしてたね。で、あるとき、青山劇場のサウンドトラックつくるときに、「こう歌った方がいいと思うんだけどさ…ジャニーさんはどう思う?」って、相談したのよ。

そしたらジャニーさん、めんどくさそうにさ、「うるさいな、YOUがそう思うなら、そう歌えばいいじゃない! だったらそう歌ってくりゃいいじゃない。いちいちなに」って怒り気味に言うのよ。「いちいち」って(笑)。僕も一応ちゃんと社長にお伺い立てて、と思ったのにさ。おもしろいいでしょ? そんなもんですよ。