3月1日に初の自叙伝『少年タイムカプセル』(新潮社刊)を上梓した、少年隊の“ニッキ”こと錦織一清さん。ジャニーズ事務所退所後も、俳優・演出家、シンガーとして活躍されています。

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錦織一清さん「遊びにも“努力”が必要だった昭和時代」

錦織一清さん
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「少年隊」の激しいダンスとアクロバット、そして高い歌唱力に魅了されたという方も多いのでは? 今回は、そんな錦織一清さんにインタビュー! 昭和時代の思い出など、たっぷり語っていただきました。

●今までの軌跡を全部つめ込んだ

――今回出版された『少年タイムカプセル』。作品のタイトルがとてもすてきですが、こちらに込められた想いを伺ってもよろしいでしょうか。

錦織一清さん(以下、錦織):最初は「錦織タイムカプセル」にしようかと思ったんだけど、「少年タイムカプセル」になったね(笑)。タイムカプセル的な、その今までの軌跡をもう全部つめ込んだ本にしよう、ということで。あと、「少年隊」にもかかってたりするでしょうね。『少年隊夢(しょうねんたいむ)』っていう番組もやってたし。それで語呂としていいんじゃないかな、と。

――子ども時代の話は、同世代にはとくに懐かしいものばかり。読んでいてあの頃を思い出される方も多いのではないでしょうか?

錦織:3チャンネル(NHK教育テレビ)でやってた『なかよしリズム』って番組が大好きだった話とかね。小鳩くるみさんが歌のお姉さんで、「サモア島の歌」とか歌って、あの歌が大好きだったりの話とか。

――江戸川区に住んでいた頃には、銭湯に通っていたというエピソードもありましたね。

錦織:その頃は、銭湯が全然あったのよ。銭湯の前でさ、5、6人で威嚇してる先輩とかいたんだよね。やだったね〜(笑)。先輩に威嚇されながら、ちょっと萎縮しながら銭湯入っていかなきゃいけなくて、ちょうどヤンキー文化もあったから、当時は平均的にそんな感じだったのよ。それが普通だったよね。平均がそんな町でしたよ、江戸川区。

●昭和時代にデビューできたのはラッキーだった

――たくさんの思い出があるかと思いますが、振り返ってみると錦織さんにとって「昭和」は、どんな時代でしたか?

錦織一清さん

錦織:自分でドキッとするのは、僕、昭和40年生まれじゃない? 生まれたとき、戦後20年しかたってないんだよね。高度経済成長って、ものすごいスピードだったってのがわかるよね。それはやっぱりすごかったんだなって! そのときに仕事してた人たちは、高速道路をつくったり、東京オリンピックのために働いていたり…がんばってたと思う。やっぱり団塊の世代の人たちはすごかったですよね。

――錦織さんも、その昭和最後の一員だと思われますか?

錦織:おそらくね。昭和の本当に生き残りで、昭和の最後というか、そのぐらいの時代だったと思うんですね。僕の中で、昭和のタレントとして参加できてたんだな、というのが、今となってはなかなかないことだったと思うし、ラッキーだった。

たとえば、僕ら昭和のアイドルはまだレコードの時代だったから、それ自体が名刺代わりになってたよね。ありがたいと思ってます。