作家・作詞家として活躍する高橋久美子さんによる暮らしのエッセイ。ミモザが咲きほこる3月、マスクや震災のこと、考えたことをつづってくれました。

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第92回「春の訪れとマスクとミモザ」

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庭のミモザが咲き始めて、春を知らせてくれる。手土産で花をもっていくのもこの季節の恒例になりつつある。ミモザは花瓶に少しあったら可愛らしいけれど、うちのように巨木になってしまうとブタクサみたいに見える。もう、枝という枝は真っ黄色のふさふさで貫禄がすごい。油断してたわけでもないけど、いつの間にかベランダからしか切れなくなって、台風の度に道に倒れかかる奔放っぷり。年に何回も剪定しているのに本当に元気だ。
自分が元気の出ない日は植物を見ていると力をもらえる。夏場に雨が振らなくて枯れかけたときは心配したけど、今年も無事花をつけてくれた。やっぱり生き物と一緒に暮らすというのはいいなと思う。

育ちまくったミモザ

打ち合わせに向かう。あんなに寒かったのが嘘みたいに、持ってきたコートが暑い。この季節って何を着たら正解かわからない。電車には、まだダウンジャケットの人もいれば、パーカーだけの人もいて、みんな心なしか恥ずかしそうだ。春になったけどまだ上手く鳴けないうぐいすのようだ。

●マスクをつけるかつけないか

また夏が来て、秋になって、あっという間に一年が巡っていくのだろうか。マスクはどうなるのか。3月13日以降は外してもいいと決まったようだけれど、みんなどうするんだろう。鹿児島の学校の卒業式に長渕剛さんが来て歌ったというのがニュースになっていた。「先生マスク外していいですか?」と長渕さんが聞いて、生徒の何割かがマスクを取るシーンにぐっときてしまった。長渕さん粋なプレゼントだな。

私は外を歩くときなんかは既に外しているけれど、お店に入るときはつける。そして、食事のときは外して会話しているはずなのに、お会計をして外に出るタイミングで再び着用。おかしい。絶対におかしい。と思いながらも、何となくそれが習慣化されていて、もはや無意識であることに気づく。

なんていうか、空気ってすごいな。まだ不安だから着けているという方もいるだろうけれど、なんとなくその場の空気でしているという人が大半ではないだろうか。日本人の気質的にマスクをしている方がしっくりくるという声も聞く。顔を見られない安心感みたいなのはわからなくもない。顔を隠して過ごした3年間の気楽さも私自身どこかであったと思う。

SNSという匿名の世界の存在に慣れてしまうと、顔や名前を出さない安心感が定着してしまったのではないかなと思ったのだった。まあ、単に花粉症だという人も多いだろうね。

●ミモザは元気をくれる

切ったミモザ

会う人にミモザを切ってもっていくと、みんな笑顔になる。花ってすごいなと思う。時に、どんな言葉よりも、気持ちを伝えることができるし、静かに癒やしや元気をくれるものだと思うのだ。

今年も3月11日が来るんだなと考えながら、トルコやシリア、ウクライナに思いを馳せる。自分にできることを考えたけど募金をするくらいしかなくて、ほんとに無力だ。南海トラフ地震もいつかはやってくるのだろうと思うと、東京に住むことの怖さもいつも考える。だけど結局、今日を精一杯生きることだけなんじゃないかと思う。そんなこんなでご飯を食べて洗濯を干して雨が振りそうだとか確定申告しなきゃだとか、あっという間に一日が暮れてゆく。

 

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