自閉症の動物画家としてフランスの美術展でも受賞し、活躍する石村嘉成さん(27歳)。手のつけられない重度の自閉症だった彼を辛抱強く育てた母親有希子さん(享年40歳)の遺志を継いで、父親の和徳さんが息子と歩んできた道のりが一冊の本になりました。『

自閉症の画家が世界に羽ばたくまで

』(扶桑社)を、エッセイストの石黒由紀子さんが紹介します。

絵を描いている様子
自閉症の動物画家として活躍する石村嘉成さん
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亡き母が残してくれた渾身の記録。子育てに悩める人の激励になれば

昨年の秋のこと。夜中、なんとなく観ていたTVのドキュメンタリー番組の画面に思わず引き込まれました。映っている男の子の、猛烈に泣きわめく姿と声に驚いて。よく見ると男の子のかたわらには毅然と向き合うお母さんの姿がありました。男の子の名前は石村嘉成くん、お母さんは有希子さん。映像は嘉成くんが2歳、自閉症と診断された頃のものでした。
現在、虎など動物たちの絵を描いて、フランスの美術展で賞を獲るなど、画家として世界を舞台に活躍中の嘉成くん。作品の素晴らしさはもちろんのこと、私は、彼と石村さんご一家にとても興味を持ちました。この才能をどう見出し伸ばしてきたのか。これまでいったいどんな道を歩んできたのだろうか。思いを巡らせていたところ、本を準備中だと聞き楽しみにしていました。

本

そして、今年8月に出版された本のタイトルは『

自閉症の画家が世界に羽ばたくまで

』。サブタイトルに「亡き母の想いを継いだ苦闘の子育て」とあります。そうなんです、お母さんの有希子さんは嘉成くんが11歳のときにがんで亡くなっています。「息子に向き合った妻の信念が、子育てに悩める人への激励になれば」と、嘉成くんの父・石村和徳さんが語り、有希子さんが残した「療育日記」と併せて、激しくも深い、愛にあふれた1冊です。

●自閉症は取り組み次第で克服できる

――なぜか遊びに乗ってこなくなり、視線も合わなくなりました。呼んでも知らん顔をして(中略)まんまやワンワンといった言葉がまったく出なくなってしまったことにはショックを受けました――(本文より)

不妊治療の末ようやく授かったわが子の、それまで順調だった成長に異変が見られるようになったことを、有希子さんはこのように綴っています。嘉成くんが1歳2か月のこと。不安を打ち消すように夫妻でさまざまな「拝み屋(祈祷師)」を訪ねたり病院や専門機関を受診。迷走するなか、地元・愛媛県新居浜市の「トモニ療育センター」を主宰する河島淳子先生との出会いがありました。

泣く子ども
トモニ療育センターでの初セッション。泣きわめく2歳の嘉成さん

先生が提唱する「療育」とは、障がいを持つ子どもたちが生きる力をつけ、より豊かに自由に責任を持って幸せに生きていけるように導くこと。

母子おでかけ
自閉症だからこそ、なるべく息子を外に連れ出しました

――河島先生は、今まで私が知らなかったことをたくさん教えてくれました。その中でも、私の胸にストンと落ちてきたことがあります。
まず第一に「自閉症は情緒の障がいではなく、生まれつきの脳の機能の障がいである」ということ。しかしそれは不治の病ではなく、「適切でゆきとどいた療育をほどこすことで、克服できる」ということでした。自閉症と診断され、私は今後の厳しさを思い知らされながらも、「私たちの取り組みしだいで嘉成だって成長できる」と強い希望が見えてきたのです。――(本文より)

●子どもを暴君にしないため「不親切な親になる」

それから、夫妻が最初に努力をしたのは「不親切な親になること」。これまでは、泣きわめき暴れ出したら止まらなくなる嘉成くんをなんとかなだめるためにオモチャを与えたり、抱き上げてあやしてみたり…。しかしそうではなくて、これからは安易に手を差し伸べたりせず、ぎりぎりまでじっと見守ることだと知り、それを実践していったのです。大変な忍耐と努力が必要だったことでしょう。しかし、それはひとりでは生きていけない嘉成くんを「人に好かれる子に育てるため」「親を奴隷にする暴君にさせないため」の大事な決心でした。

有希子さんの入学後記録メモ
小学校入学時の有希子さんの記録メモ

療育方針が決まってからは一途に嘉成くんに向き合うことに心血を注ぐ有希子さん。常に嘉成くんにとってなにがいちばんいいかを考え、妥協せず、教材を手づくりし、保育園から小学校も発病までは母子一緒に通い、授業中もつき添いました。

日記
有希子さんお日記。小学校での問題行動に悩む様子がつづられている

苦心の末に有希子さんが習得した褒めるタイミング、怒るときの目線と声色、嘉成くんがお気に入りの言葉を見つけ有効に使う、など療育のテクニックに学ぶところが多く、普段の暮らしにも生かせるような気づきがたくさんありました。

●昏睡状態の妻が目覚め、息子を抱きしめた

有希子さんががんの宣告を受けたのは、嘉成くんが小学3年生の秋。入院、手術、放射線治療と闘病が続き、翌年の春にはいったん退院できたものの9か月後に再発。嘉成くんが5年生の初夏、有希子さんは息を引き取りました。享年40歳。

抱き合う母子
亡くなる2日前、妻は最後の力を振り絞って嘉成を抱きしめました

――がんの進行はいっこうに止まらず、6月になると妻は昏睡状態になりました。(中略)こんこんと眠り続けていた母が突然目を覚ますと、母の顔をのぞき込む嘉成のからだをつかみ、強く抱きしめたのです。あのやせ衰えたからだのどこに、あんな力が宿っていたのか(中略)「ヨシくん、あなたはこれからもちゃんと生きていける。これからもずっと、あなたのことを見守っているから」その思いが、動けないはずの肉体を衝き動かしたのです――(本文より)

●有希子さんが遺した療育の土台

鼻をあわせる母子
病室には静かな母子の時間が流れていました

子育て中はもちろん、人は大きな困難に直面したときに八方ふさがりのような気持ちになって、どこかに解決の糸口はないかともがき苦しみます。そんなとき、心の根っこを深く深く伸ばしているのではないでしょうか。そして、いつの間に根は力強く張られ、自分自身の土台になってくれる。有希子さんの生き方がそう私たちに示してくれていると感じます。

嘉成くんの療育は、これまでも有希子さんと嘉成くんを支えてきたお父さんの和徳さんに託されました。そこから父子の二人三脚がはじまり、嘉成くんが画家へとなる道へつながっていくのです。

【このお話の続きは、10月23日配信予定です】

【石黒由紀子さん】

エッセイスト。栃木県生まれ。女性誌や愛犬誌、webに、犬猫グッズ、本のリコメンドを執筆。楽しみは、散歩、旅、おいしいお酒とごはん、音楽。著書に『

豆柴センパイと捨て猫コウハイ

』、『

犬猫姉弟センパイとコウハイ

』(幻冬舎)他多数