葬儀は、通夜の読経の代わりに夫が好きだった音楽を流し、寂しい雰囲気にはなりませんでした。
参列した方と話をする機会はほとんどなく、マスクで人の顏もよく見えません。それでも、葬儀ができてよかった思うのは、東京近郊の方だけで200人もの方がお別れに来てくれたから。
絶望的な悲しみのなかで、やりきったという気持ちが、私の中に生まれたからです。
●制限がある葬儀でも、コーナーをつくって思い出を振り返れるように
子どもがいない私たち夫婦。その1人の夫が突然亡くなるというつらい出来事を乗りきれたのは、ひとえに使命感でした。
夫が生きた証を皆さんに見せられるのは、私しかいない。夫のためになにかできるのも、これが最後です。やれることはなんでもやりたいと思っていました。
葬儀会場に写真コーナーをつくり、思い出のものを飾ったのもそのひとつです。家にもともとあったアルバムは1冊しかないので、皆さんが見るのに時間がかかり、「密」になってしまう。そこで、参列してくれた方が目当ての写真をすぐ見られるように、「学生時代」「スポーツの仲間」「会社の仲間」などのテーマごとに分けてポケットアルバムにまとめました。
別の場所には、ゴルフボール、お菓子、飲み物、DVDなど夫の愛用品をまとめ、夫との約束だったリモコンも置きました。
●棺に入れた約束のもの
夫とは7年間つき合って結婚しましたが、一緒に暮らすようになって驚いたのが、いつもテレビを見ていたことでした。朝起きるとテレビをつけ、仕事から帰ってくると、夕食は10分で食べてすぐさまテレビの前に座り、寝る直前までそのまま。夫のそばには、いつもいつもリモコンがありました。
見当たらなくなると「オレのリモコンどこ行った!」と大騒ぎするので、私はあきれてしまい「そんなにテレビが好きなら、死んだらリモコンを入れてあげるからね!」と、ことあるごとに冗談交じりにいっていたのです。
夫はエッヘッヘと笑うばかりなのですが、私が携帯電話ばかりいじってると「おまえが死んだときは電話を入れてやるからな」と言い返してきたりもしました。20年の結婚生活で、そのやり取りを何回したことでしょう。夫が亡くなって単身赴任先の家に着いたときに、棺に入れるものを探しながらそのことを思い出しました。
「そうだ、リモコン持って帰らなきゃ」
副葬品は燃えやせるものが基本で、金属があるものは避けるように言われますが、リモコンなど小さいものなら大丈夫。DVD、CD、USBやSDカードなども問題なく、夫の愛用品はゴルフボール以外すべて棺に収めることができました。(※副葬品の基準は葬儀社や火葬場、地域によっても異なります)
「大事なリモコン! 入れたからね!」
それが、夫にかけた最後の言葉でした。
●自分たちらしいゴールになったのかもしれない
50代の若さで突然死した夫は、終活もしていなければ、エンディングノートもつくっていません。でも、私たちの場合は、それでよかったと思っています。
大切なものや好きなこと、希望や約束は、ふだんの暮らしや会話のなかに残されていたし、10年近くも別々に暮らしたことで、逆に互いのライフスタイルや価値観を尊重できました。
夫婦としてはちょっと変わっていたと思いますが、これが私たちのかたち。添い遂げるという夫婦のゴールにたどりついたことを、寂しさのなかで深く感じています。
【佐藤由香さん】
生活情報ライター。1968年埼玉県生まれ。編集プロダクションを経て、2011年に女性だけの編集ユニット「シェルト・ゴ」を立ち上げる。料理、片づけ、節約、家事など暮らしまわりに関する情報を中心に、雑誌や書籍で執筆。