92歳で大往生した父の人生を思う
すべての画像を見る(全4枚)父が死んだ。92歳、大往生と言っていいのだろうか。大好きだった父、というわけではないのと、いつもどこかでこの世は仮の世みたいな気持ちが私にはあるので、「お疲れ様でした」というのが正直な気持ちです。
父の人生は、婚外子として生を受け、実母の母親と実母の兄の元で暮らすことになるというスタートでした。
そのあたりのことを詳しく聞いたことはありませんが、びっくりしたエピソードに、実母が嫁いだ先に先妻の同い年の息子がいて、大学受験になったとき、父の方が優秀だから息子と同じ大学を受けないでほしいと実母が言いにきたという話があります。
第二次世界大戦、東京大空襲のときに中学生だった父です。父が長野へ疎開して間もなく、この空襲では随分同級生が亡くなったと最近聞くことができました。そういう時代に自分の思うように生きるのは難しかったのかもしれません。
でも、なんでもかんでも大人のいうこと聞きすぎだよ、と私にとっては歯がゆいエピソードでしかないのです。母との再婚もはたして父の本意だったのか知る由もありません。
淡々と生きた父から学んだ唯一のこと
私が20歳で結婚するときに父に言ったことは、私はもう大丈夫だからパパはパパの人生を生きてほしいという言葉でした。ずっと私には父がなにかに耐えている世捨て人のように見えていたから。
思春期だった私は父親の理想像みたいなものに憧れて、これだけは読んでおけみたいな本はある? なんて聞いてみたりしました。これと渡されたのが『宮本武蔵』上下巻、思い出しても笑えますよね。
お父さんがいて、お母さんがいて、みんなでごはんを食べて、という暮らしに私が強く憧れるのは、間違いなく自分の生い立ちに起因していると思います。娘にどう接すればよいのか、どう声をかければよいのか、されてこなかったことを人にするのは本当に難しいことだったのかもしれません。
とにもかくにも父は流れに逆らわずに淡々と人生を生きた人だったと思います。ぐちもぼやきも聞いたことがありませんが、父の口から夢や希望も聞いたことがありません。真面目でがんこな自分のなかにときどき父を感じることはあっても、私にとっての父はやっぱり反面教師です。
おかしいことはおかしい、いやなことはいやだと言って生きていきたい。「だってしょうがないじゃない」という父の声が聞こえてきそうですが、そのことが父から学んだ唯一のことかなと思います。
お疲れ様でした。そしてありがとうございました。


