メールの「ご飯行きましょうね」は本気にしていい?

野菜
畑の野菜からも花が咲いていて茹でて食べた
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ある日、お隣さんと立ち話をしていたときのこと。

「メールの最後に『また時間できたらご飯いきましょうね。』って書くでしょ。あれって社交辞令らしいですよね。私、『いつにしましょうか』って速攻メール返しちゃってた。それでご飯行ってましたよ。あれ迷惑だったのかなあ」

「確かに、そこんとこの温度感ってさまざまでしょうねえ。時間なんて作らないと永遠にないし、あるといえばなんぼでもあるし。どっちかが言い出さないとはじまらないから、ええと思うけどなあ」

ズボラな私は、こういうマメな人がいてくれることを、心底ありがたいと思うもの。

「でも相手は、めんどくさーとか思ってなかったですかねえ」

「思ってないですよー。思ってたら社交辞令でもそんなん書かないでしょ」

ふきのとう
ふきのとうも発見、天ぷらは絶品でした!

「じゃあ、また今月どっかで飲みに行きましょうね、社交辞令じゃなくほんまに」

と言って、私たちはそれぞれの家に入った。

一時間もしないうちに、ブーッとスマホが震えて、彼女から、

「何日と何日だったら行けそうだよ」とLINEが来ていた。

「私もその日いけますよ」と返事をして、彼女がさっそく予約をしてくれた。

今その人に会えば、今の喜びがあるはず

「また今度ご飯行きましょうね」

ほど、果たされぬ約束はない。しかも私達はみんな確信犯だ。

自分は会いたいなと思っていても、相手がどう思っているかわからないもの…というのは言い訳で、忙殺される日々の中で消えてしまっているだけなんだと思う。

特に、久々となると色んな意味で勇気がいるから後回しにしがちだ。会わなくても支障はないし、思い出の中だけで存在する方がいい関係だってあるだろう。

でも、それは会ってないから思うだけで、今会えば今の喜びがあるに違いない。その逆を恐れて、一歩踏み出せずにいるのかもしれない。

 

ご近所さんはたくさんいるけど、立ち話以上に親しくなったのは彼女だけだった。それは、社交辞令だったかもしれない言葉を、終わらせなかった彼女の行動力の賜物だ。

子どもの頃なら、今日会ったら明日も明後日も、約束なしで遊んで約束なしに友達になっていた。温かくなると、あの子元気かなあと思い出す顔がある。

 

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