「自分の役割」について考える日々
すべての画像を見る(全2枚)私はずっと“家族の食卓”をテーマに活動してきました。家族全員そろっての食事の喜びだとか、みんなでテーブルを囲む楽しさや幸せだとか、そういうことを大事に思いながら家庭料理に親しんできました。「お母さんの笑顔がいちばんのごちそう」と、幾度言葉にしたことでしょう。
その私に、なぜ、“家族の食卓”がなくなったのだろう――。
当時、夫を亡くした寂しさとともに、こんなことをよく考えていました。決して恨みごとではないんです。けれど、どうして誰よりも家族の食卓を大事にしてきた私にこういうことが起きたのだろうと、しごく冷静な気持ちでこの問いに向き合っていました。
夫が亡くなって2か月を過ぎるぐらいまで、私、包丁を持てなかったんですね。そのぐらい落ち込んで、毎日冷凍のケンミンの焼きビーフンばかり食べていました。「もうすぐお正月で娘夫婦と息子が帰ってくるというのに、もうごはんがつくれなくなっているかも…」と本気で自分を心配するぐらい、料理はできませんでした。
けれど、子どもたちが帰ってきたら、以前と同じようにつくれた。「それは当然でしょ」とお思いになるかもしれません。でも、私にはそのことがものすごくうれしくて、その事実に救われました。
そうして思い至ったのが、私は今まで家族のために頑張ってきたのだろうから、「これからはほかのひとのためになにかしなさい」と言われているのかな、ということ。次の役割が与えられたのではないか、と。
掃除や片づけはしなきゃしないで済むけれど、毎日のごはんは誰かがどうしたってつくらなくちゃいけない。それなら料理をおいしくつくれるひとよりも、楽しくつくるひとを増やしたい。だってそうすれば、日本中の食卓に、みんなの笑顔といういちばんのごちそうが並ぶから。
私が伝えてきたのは、そしてこれからも伝えていきたいのは、レシピではなく、そのレシピによって育まれる、家族の食卓の在り方そのものでした。
今も、自分の役割を考えている毎日です。
料理家・足立洋子さんの食や暮らしの工夫をつづった『さあ、なに食べよう? 70代の台所』(扶桑社刊)には、家族を亡くしたあとに前を向く方法、「70代の壁」を明るく乗りきるアイデアが満載です。