X(旧Twitter)で大きな反響を呼んだ漫画『あした死のうと思ってたのに』作者の吉本ユータヌキさんにインタビュー。押しつけがましくない優しさに満ちた作風の秘密や、創作のベースになっているという学生時代の経験などについてお聞きしました。インタビュー最後には、「あした死のうと思ってたのに」を表題作として描き下ろしを含む短編集『あした死のうと思ってたのに』(扶桑社刊)に収録されている「ただそこにいただけで」の試し読みもあるので、最後までお見逃しなく。

関連記事

“余命半年”の父が小学生の娘に伝えたいこと。「悪い出来事に対応できる策はもっておく方がいい」

大きな反響を呼んだ『あした死のうと思ってたのに』作者にインタビュー

「あした死のうと思って…」

こんなドキッとするひと言から始まる漫画がX(当時Twitter)でバズったのは2023年6月のこと。暗い話かと思いきや、押しつけがましくない優しさに満ちたその作品は瞬く間に大きな反響を呼び、公開した初回の投稿のインプレッションは1770万を超え、3万1000RT、14.3万いいねを記録し、多くの共感の声を集めました。

「あした死のうと思ってたのに」
『あした死のうと思ってたのに』(扶桑社刊)より、以下同
すべての画像を見る(全22枚)

作者は吉本ユータヌキさん(@horahareta13)。「あした死のうと思ってたのに」を表題作として描き下ろしを含む短編集『あした死のうと思ってたのに』(扶桑社刊)を上梓した彼は、現在、同短編集にも収録されている「ただそこにいただけで」のスピンオフ、「#まるねこププ」シリーズをXで発信し続けています。今回は彼に、その優しい作風の秘密を聞いてみました。

 

●つらい現実に、逃げ場も見いだせなかった過去

――『あした死のうと思ってたのに』に収録されている作品は、ほとんどがご自身の経験がベースになっているそうですね。

吉本ユータヌキさん(以下、吉本):はい。中学校時代に同級生からいじめられたのがきっかけで、学校での人づき合いが苦手になりました。高校に入ってからも友達ができずだったり、家では両親が不仲だったりで、学校でも家でも「そこにいる」ことの苦しさを強く感じるようになり、そんな毎日から逃れたくて、17歳のときに住んでいた住宅の11階のベランダの柵に足をかけたことがあります。 

その後、バイト先の先輩にパンクロックを教えてもらい、音楽に夢中になって毎日を過ごせるように変わりました。苦しさよりも音楽を聴く楽しさが大きくなっていき、いつからか飛び降りたいと思うことはなくなっていました。

「あした死のうと思ってたのに」

大人になった今では、苦しくなってもだれかに相談してみようとか、生きる場所を変えてみようって選択肢が浮かぶんですけど、当時は「死にたい」というより「こうするしかない」と思っていました。

人に自分の弱さを見せることは情けないことだったり、恥ずかしいことだったんですよね。暗い気持ちは自分でどうにかするしかないと思っていて、どうにもできないのなら「こうするしかない」って、考えても考えてもそこにしか辿り着きませんでした。

●自分の気持ちをさらけ出したら、共感を持ってもらえた

――高校生時代のつらい記憶が生み出したのが、『あした死のうと思ってたのに』だったんですね。

吉本:僕は元々、他人の期待に応えたいとか、人の役に立ってなにか貢献できたらいいなと思って漫画をつくってきたんですが、2023年初頭くらいから漫画を描くのが楽しくなくなってきたんです。

それは貢献したいと思って描いたものへの反響が以前より減ったこととか、ウケを狙いにいくが故に自分の描きたいことからズレていってしまうことなどが理由でした。

そんなことから「自分の気質的に漫画をつくるのは向いていないのかも」と考えるようになり、一度は思い切って自分の描きたいことは捨てて、役に立つものだけをつくる作家になろうと決めたんです。でも、ちょっとだけ未練があって、最後に1作だけ、自分のためだけに全力で描いてみようと思い『あした死のうと思ったのに』という漫画が生まれました。

SNSにアップするまでは、テーマは暗いし、だれがこんな話を求めてくれるんだろうと思っていました。でも、アップしてみると、すごい数の感想が届いたんです。

その瞬間に「人の役に立ちたいと思ってつくるよりも、自分の思ったことを素直にさらけ出してつくるほうが自分にとってはいいものがつくれるのかも」と思い、また、それは人のあり方そのものにもつながっているのかもしれないと思ったんです。