どうしてこんな話をしたかというと、「終活」も現象より名前の方が先だったからです。いかにも日本人らしい、心配性優先的感覚。昔は物がなかったのもありますが、終活を考えて亡くなるなんて人はいませんでした。私は今も、考えなくていいと思うんです。
「終活」なんていかにもお利口さん的な雑誌あたりから軽妙に発信されただけのもんですよ。(※個人の感想です)ペッ。本人がどうしても考えたいのなら考えればいいけれど、頼むようなことではないし、ましてや当人でもない人が悩むのは本末転倒です。
あとで面倒なのは私なんだから、と思うかもしれませんが、そんなのはあとに残った者のさだめとして受け入れるしかないです。人類はずっとそうしてきたのだから、できます。
想像すれば、あなたの一番大切な指輪1つですら、自分が死んだら誰にあげて欲しいなどとは意外と書き残せない、決められないことに気がつきますよ。しかも始めれば老人には膨大な宿題、重荷となります。先に決められないもの、と思って、運を天に任せるのも一案ではないでしょうか。
<清水ミチコさんがあなたのお悩みに答えます>
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