「第1話 すべてはステーキを食べてから」を試し読み
体力があり余った状態で自転車を漕ぐと、体の中がむず痒い。
部活をやめた副反応は、思いもしないところに出る。
やめる決意は固かったが、ほぼ引き止められなかったことへの不信感はずっと残っているし、疲れていないので寝つきも悪くなった。
太るかもしれないという、今まで一度も考えたことのない悩みも生まれた。なにより、予定がないというのがつらい。
今日この後も、その先も、何をして過ごそう? 目的や目標は、失ったときのほうが存在感を発揮する。
「何をしてもいい」は「何もしなくていい」ということなのに、何もしていないと勝手に焦りだす。焦りを抑えるために何かをしようとするが、見つからずにまた焦る。
郵便配達員に抜かされた。覚えている限りで初めての経験だ。
ああ、アルバイトを始めるものいいな。
学校で禁止されていたかな? やってるヤツはいるけど、あれって黙ってやってるのかな? そもそも禁止されてないのかな? どっちだろう。
以前は、たまにある土日の休みが嬉しくて、せっかくだからと大胆な行動をしていたが、これからはずっと土日のようなものだ。自分で考えて充実した休みを過ごさなければと思うと、嬉しいはずの休みをおっくうに感じる。
母が今の僕を見たら、
「まずは食べてから」
そう言って何かしらを作ってくれるだろう。母はいつだってそうだ。
小学生の頃、サッカーの試合でPKを外してチームが負けた。その事実に耐え切れなくて、周囲を気にせず泣きじゃくっていた僕にかけた母の第一声も、「まずは食べてから」だった。
食べたくなくて下を向く僕に、何も言わずアルミホイルに包まれたおにぎりを差し出す母。その横で父は、「PKを外すのはPKを蹴る勇気がある人だけだから」と目頭を熱くしていた。知っている名言を真剣に言われると、妙にこそばゆくて笑いそうになった。妹は「お兄ちゃんは勝ってたよ」と言って、おにぎりをほおばりながら頷いていた。
がっかりさせたと思っていた3人に励まされたのが、情けなくて、でも嬉しくて。やっぱり恥ずかしくて、放っといてほしくて、おにぎりを受け取って下を向いたまま食べた。
友達と喧嘩して帰ってきた妹にも、家族で遊園地に行く朝に高熱を出した父にも、母は「まず食べてから」と声をかけた。
今日もその声を聞きたいが、聞くことはできない。
その言葉を聞けなくなった父と僕と妹は、空回りをはじめた。人間関係の崩壊は一瞬で、それは家族だとしても同じ。僕は崩壊する速さを知っている。
今が踏ん張りどきだ。今ならまだ間に合う。
ただ、何をどうしたらいいんだろう。