こういうときこそ、「まずは食べてから」なんだろう。何か食べようかな。
ふと、母になろうと思った。いや、あの性格、あの行動力、あの存在感の母になるのは無理だし、母はひとりで充分だから、僕はこの家の料理長になるか。
聞けない言葉を、今度は自分が言う側になればいい。
料理を作れば予定も埋められる。今ある問題のほとんどが解決されるだろう。
よし、まったく料理をしたことはないが、料理を作ろう。
いや、生井(うまい)家の料理長になろう。
何日も悩んでいた問題を一瞬にして解決してくれる母は偉大だ。
高校生から料理長へ−−−−。
そう決意すると、体中のむず痒さは消えて、代わりに単なる背景でしかなかった飲食店や小さな総菜屋、お花屋さんに雑貨屋、歯医者さんに工事現場などがそれぞれの存在感をもって目に飛び込んでくる。
料理という日常の軸を意識することで、人の営みが目につくようになったのだろう。
花屋と歯医者には、無意識に「さんづけ」していることにも気がついた。
料理長としての最初のミッションは、妹の香織にメシを食わせることだ。
父からもらう食費を使っている様子もなく、買い置きされたレトルト食品の袋も、コンビニ弁当の空き殻やカップ麺の空き容器も、スナック菓子の袋も、妹の部屋のゴミ箱には捨てられていない。
食べることはおろか、栄養を摂取することにも興味を失っているように見える。
つらいことは重なるというから、中学校で何かあったのだろうか?
妹は、伝える気のない言葉を吐きだすくせがある。
母の料理を食べると、隠し味とやらを得意げに語る恥知らずな一面もある。味は隠れる必要がないんだから、そんなもの存在するはずないのに。
なにより、ストレスがかかると余計なひと言を言って、周囲をどうにもならない感情にさせてしまう。
本人の気がつかないうちに、人が離れて孤立してしまうタイプだ。孤立してつらいことが重なれば、塞ぎ込み転げ落ちるだけだ。自業自得だが、兄として、これは見過ごせない。
というわけで、見過ごせないということを妹に態度で示した。つまり、尋ねたのだ。
「なぜ、メシを食わないのか?」と。