●共通しているのは「45歳」がターニングポイントだったこと

平野さん
すべての画像を見る(全4枚)

平野 私のターニングポイントは離婚した45歳のときですね。子どもはふたりとも大学生でしたから、身軽といえば身軽な状況でした。

中道 私が別居したのは47歳で、長男は社会人、次男は浪人生、長女は中学生でした。結婚後は仕事を辞めて専業主婦として家庭に入っていましたが、家の近所にある会社の門にパート募集の張り紙を見つけて、37歳でパートを始めました。時給850円、1日3時間の週2回です。
その会社で正社員を目指そうと思ったのですが、けれどやっぱり、パートのまま。「あなたには何も資格がないから、パートからステージアップはできません」ということで…。そこで45歳のとき、一念発起して就活をし、事務員として雇ってくれる会社を見つけました。私にとって就活して再就職をしたことは大きな転機で、そのときは「この会社を辞めるまでに500万円を貯めて、カフェオーナーになろう!」とワクワクしていました。

平野 45歳で会社員になられたのですね。それはバイタリティーがありますね。

中道 入社してしばらくの間は幸せな気分だったのですが、会社がよくなかったのです。労働条件は過酷なのにお給料が安い。しかも、ベテランの事務員さんにはしょっちゅう怒鳴られて、もう怖くて。仕事中に涙がさーっと流れるくらいしんどかった。げっそりやせ細ってしまって。徐々に夫婦関係も悪化してきました。当時から別居や離婚は考えていましたが、いずれにしても「自立することが先決」と思い、この会社をあきらめて辞めたら自立できないわけだから、なんとしてもがんばらないといけないと無我夢中でした。
その頃になると、カフェオーナーは憧れというより必須事項になっていて、パン教室にも通い始めていました。その会社で2年近く踏ん張って、そしたら友だちの紹介で結構いい年収のところに転職できたので、「これで自立できる」とやっと別居に踏みきりました。

平野 中道さんは自立できる仕事を見つけてから別居、私は離婚してから自立できる仕事探しと、やり方は正反対なのだけれど、なんだかとても似ていますね。

●カフェオーナーを諦めて、「50歳」でブログを始める

中道さん

中道 カフェオーナーになることは心の支えでもありましたが、あるとき、ふと気がついたのです。友人知人にお菓子を配り歩いて、「とってもおいしいわ」「あなたならカフェができるわよ」と言ってくれるけれど、誰からも「このお菓子を売ってほしい」という声を聞いたことがない! それがプロとアマチュアの差なのだとわかってがく然としました。その事実を受け入れて、カフェオーナーの夢は潔く断念しました。

平野 いろいろありますよね。人生は本当にシナリオ通りには進まないものです。

中道 そして、50歳でブログを書き始めたのです、ある日、突然に。息子にすすめられたのがきっかけでした。そのときの第1回目の記事の内容がちらし寿司とハミングバードコーヒーケーキ。お料理やお菓子づくりが好きだったので、当初は料理の投稿をしていました。ハミングバードコーヒーケーキは、平野先生から教わった大好きなレシピです。
会社員を続けながらブログを投稿し続けていくうちに、少しずつ人気が出て、本も出せるようになりました。本の出版後に会社員を辞めて、起業しました。ですから、私の人生を変えてくれたきっかけのひとりが平野先生なのです。

平野 ありがとうございます。縁というのは、不思議なものですよね。「縁を大切にする」というのは私の人生のテーマでもあるので、今回こうして再会できたことも、私との縁を大切に思ってくださっていることもとてもうれしいです。