初エッセー集『編めば編むほどわたしはわたしになっていった』(新潮社)を上梓した、人気ニットデザイナーの三國万里子さん(51歳)。日常の中に小さな喜びを見出す三國さんの視点に引き込まれ、読めば読むほど、不思議と幸せな気持ちがこみあげてくる同書は、発売直後に重版がかかる人気作に。 そんな三國さんに、編み物と歩み続けてきた半生を振り返っていただきました。
すべての画像を見る(全3枚)3歳から続けてきた編み物の大きな魅力
同書では、三國さんの子ども時代から、学校生活になじめず早退を繰り返した青春時代、秋田県の温泉旅館などで働く20代のフリーター時代、そして現在の夫との出会いや出産を経て、ニットデザイナーへの道へと進む――。そんな半生がつづられています。
まず驚いたのが、三國さんが編み物と出合った年齢。わずか3歳の頃でした。
「祖母からかぎ針と糸の持ち方を教えてもらったのが始まり。以来ずっと好きで、小学校は手芸部、中学校は家庭科部に入り、いろいろなものを編んできました。結婚して子どもが生まれてからは海外の編み図にも興味を持ち、息子のセーターはフランスの編み物本などを読みながらつくっていましたね。
とはいえ、子どもが小さい頃は思うように時間が取れず、15分とか20分とか、ちょこちょこと時間をかすめとるようにしては編み進めていました。息子が寝たと思ったらバーッと始めるの。でも気配で息子が起きちゃうんですね。『カチッ』という音を立てた時とか。こうしたせわしない暮らしの中にちょっと織り込まれている楽しいことが、編み物でした」(三國さん・以下同)
●人に喜んでもらえるのが嬉しくて。ものづくり作家への始まり
ここまで三國さんを突き動かす編み物の魅力とは、何でしょうか。
「まず、思ってもみない素敵なものが自分の手から生まれる、そういう喜びがあることですね。時間がかかる手仕事だけど、その分達成感もある。手の込んだセーターはひと月以上かかることもあるけれど、美しいものができたときって、他では替えがきかないような嬉しさがあるんです。
あとは、プレゼントすると喜ばれること、ですね。人によっては奇跡を見るような目で感激してくれるの。それで家族とか、保健室の先生とか、周りにいるいろんな人に編んでいました」
好きが高じて、仕事へと変わったのは、29歳の頃。ふきんやミトン、エプロンなどを、妹の勤務先のレストランのレジ前に並べてもらったのが、ものづくりの作家としての始まりです。
「動機は単純。当時1歳か2歳だった息子の大学進学費用を貯めたかったの。でもなかなか目標の全額まで貯まらなくて(笑)。それでも続けたのは、楽しさが勝っちゃったから。だって、お客さんが喜んでくれるんです。接客してくれた妹から、買ってくれたときの様子を聞いているとうれしくて、やめられなくなったんです」