東京の福生で「古道具・熊川」を営んでいた西原大希さん・ジーインさん夫妻。建物オーナーの都合で店舗移転を余儀なくされていました。そして新たに古道具店を開いたのは群馬県の下仁田町。重厚なそのレンガづくりの倉庫との出会いは、偶然で運命的なものでした。ひと目で気に入った西原さん夫妻は、その日のうちに建物の持ち主に交渉。短時間で大きな決断をした大希さんはこう話します。「縁を感じたらその気持ちを大事にしたい」と。
すべての画像を見る(全16枚)福生で営んでいた古道具店を下仁田へ移転
大希さん・ジーインさんは、長女が生まれたのち、福生に移り住み古道具の店を開きます。こうした決断に至ったのは、ジーインさんとの出会いがあったからだそうです。
大希さんは東京・世田谷生まれの横浜育ち、若い頃は街での遊びが中心。いっぽうジーインさんは山や川に囲まれた自然の中で育ちました。彼女と出会ったことで、大希さんの中に田舎暮らしという選択肢が芽生えたといいます。
古い道具に魅力を感じていた二人が福生で「古道具・熊川」を開業したのは、2012年のこと。古い鉄工所を改修した建物でした。古道具店の経営は順調でしたが、建物オーナーの都合で移転を余儀なくされることに。
そんな折、ジーインさんが群馬の南牧村の空き家バンクのことを知り、家族でドライブがてら見学へ。その帰りに偶然見つけたのが下仁田駅前のレンガ倉庫でした。
「重厚なたたずまいに圧倒されました」と大希さん。その日のうちに近所で教えてもらった管理人の家を訪ねて交渉。帰り道にはOKが出たそうです。驚くべきスピードで下仁田への移住が決まりました。
古道具を美しく際立たせる、大正15年建築のレンガ倉庫
その日のうちに決めたというレンガ倉庫。どのような建物なのでしょうか。
レンガ倉庫は世界文化遺産「富岡製糸場」のそばで、地元産業を支えた歴史ある建物。大正15年に建築されたもので、「蚕の繭」の保管に使われていたそうです。
出会った時の建物は、簡単には触らせない、そんな雰囲気を漂わせていたとか。
「福生の店は廃墟だった鉄工所を改装したけれど、ここは店舗としてどういう路線でいくかも決めかねていて。カッコいい言い方をすると、最初は建物と会話するというか、自分をここに馴染ませることから始めました」。
しっかりした木組みと漆喰が美しい壁。「前の店はジャンクな雰囲気だったので、そこに置いても良さが伝わらない商品もあったのです。ここはレンガ、漆喰、木で構成されて、本当に扱いたいものが映える空間になりました」。
「持ち主の手入れが行き届いていて、建ってから100年近いのに手を入れなければならないところは少なかった。内装の床を張り替えたり、一部の壁を塗っただけで十分に使えるようになりました」(大希さん)
驚いたのが2階に注ぐ光。光の織りなす陰影が、古道具をより美しく際立たせます。
普段は照明をつけずに、この光の加減を楽しみます。昭和初期の道具が並ぶ店内を見渡せば、どこを切り取っても、古いもののよさを深く理解し、それをいかに見せるかを熟知したキュレーションがなされているのが分かります。
コークスを使っていた時代のストーブ台にフジツボを載せたり、ガラスの写真板を入れる現像用瓶をフラワーベースに見立てたり。
古道具を単に並べるのではなく、配置、異素材との組み合わせなどで生み出される新しい価値。それは多分アートに近い感覚であり、アートを飾る空間ともいえます。
ところで気になる改修ですが、なんと大希さんが一人で行ったそうです。
「毎回家族で福生と往復すると交通費や宿泊費もバカにならない。そこで住むところが決まるまで、テントと寝袋持参で泊まり込み、作業を進めました」。
古道具、建物、土地…。出会いは一期一会
レンガ倉庫は2017年の秋に見つけ改修、翌年の4月には店をオープンさせました。
家族で移住し、当初は町営住宅で暮らしていましたが、1年後の2019年、ついに家を購入します。店のある敷地内の平屋住宅です。
店は週末だけのオープンで、いつもは作業着でほこりにまみれた道具をきれいにする作業に追われているそいう大希さん。
「遅くまで作業した日は店で軽くビールを引っ掛けるんです。すると車には乗れないから自宅まで歩くことになる。心地よい夜風に吹かれ、美しい星空を眺めながらてくてく歩く」。そんな都心では味えなかった感覚を楽しんでいます。
台湾出身のジーインさんは、タイで大希さんと出会って東京へ。しかし気がつけば、山や川の風景が台湾に似ているというこの地に暮らすことに。
「将来的にはカフェを併設したゲストハウスもオープンするつもり。若い人たちを呼んで、できれば移住してもらって。娘が成長したとき、この場所が安心して帰ってこられる場所になればいい」と大希さん。
店の前にある木造倉庫では、近所のこんにゃく店主が不定期営業のレコード屋を始めたとか。西原さん家族の移住とふたりの活動が人に町にも刺激を与えているようです。
「以前から面白い物件に出会ったら、すぐにアクションを起こすのが習慣で。福生のときの店も、今にも解体されそうな雰囲気だったので、すぐ持ち主を探して交渉したんです」(大希さん)。思えば古物商という仕事も、古いものとの出会い方やタイミングが大切。
ものとの出会いは一期一会。それは建物や土地も同じなのかもしれません。
※情報は「住まいの設計2019年10月号」取材時のものです。
古道具・熊川
撮影/松井 進