(4) 好奇心が再びわいてくる

多くの人が「~あるべき」に囚われて、無難に生きようとします。昨日と同じ今日を生きることが安心安全だからです。その心のブレーキを外してあげて、子どもの心に戻れるのが50代です。田んぼや野原を駆けまわって、屈託なく遊んでいた頃はどの子もクリエイティブでした。もうそろそろ、「誰かのため」を手放して本来の自分に戻っていいのです。

あの頃は溢れんばかりにあった好奇心の芽をもう一度膨らませてみる。子どもの頃、やらされていた勉強にはさっぱり関心がなかったのに、大人になってから興味を持ったことに対しては意欲的なものです。

いつまでも若々しくイキイキしている人と、どんどん老けていく人の差は、好奇心があるかどうかだと思います。そもそも知りたいと思うだけで胸が躍る。もっと知りたいと思えば、読んだり、調べたり、行動したりと活動の幅も広がります。すると、脳が活性化されお肌にもいい影響を与えるでしょう。
そういった意味で50代は老けていく人と若返る人の分かれ道でもあります。

(5) 親のありがたみがわかる

私が、今こうして発信したりビジネスしたりできるのは、“毒親”のおかげです。かなりのモンスターっぷりでしたので、つらさや憎しみなど、様々な負の感情を抱えて50年きました。でも、その経験が人生において「大切にするものは何なのか」「守るべきものは何か」をはっきりさせてくれました。人に期待せず、主体的な生き方ができたのも、親を半面教師にしてきたからです。

もし、自分にとって理想の親だったら、幸せを感じる時間は長かったかもしれませんが、今の私はなかったでしょう。そう考えると、毒親に育てられたのには意味があったと言えます。しかも二人とも天に召されてからは、嫌なことは笑い話のネタになって、わだかまりもなくなりました。過去の嫌な事実は変わりませんが捉え方が変わったのも50代です。つらい経験を前向きに乗り越えれば、人は成長できます。

(6) 急な痛みがやってくる

トレーニングする女性
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まさに、50代後半は急な痛みがやってきます。床に落ちたペンを拾おうとして人生最大のギックリ腰に。歩くのもままならないのに、手を貸してくれる人もおらず。情けない姿にちょっぴり弱気になりました。その2か月後にピラティストレーナーと出会い、鍛えることに。おかげで体幹は鍛えられたのですが…。

ある日突然、左肩が痛くなり、日常生活に支障がおきるほどに。半年間鍼とマッサージに通うが治らず。それがある日、嘘のように消えてしまいました。あれは一体なんだったのだろうかと思うほど。
そうしているうち、今度は右ひざが痛くて階段の上り下りがつらい。何をしたわけでもないのに、原因不明の痛みがやってくるのも50代になってからです。体の痛みに関してはトレーナーに相談して対処しています。自分の体のことを相談できる相手が必要になってくる年頃です。

すべては自分次第

結局、50代を楽しく生きるか、つまらなくするかは自分次第じゃないでしょうか。年を重ねるほどに子どもの教育費の負担が増えるし、親の介護問題も出てきます。これからの時代は定年後のキャリアも決めなくてはいけませんし、それなりの蓄えも必要になっています。
物理的な問題を抱えることになりますが、内面が整えられていないと、前向きに乗り越えていけないと感じます。内面と向き合う作業を50代までに終えて、理想的な60代を過ごしたいと思っています。

 

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