何歳になっても、仕事を続けている女性たちがいます。もちろん、体力的にも精神的にも、若い頃のようにはいかないかもしれません。それでも、自分にできることを自分のペースで続けていく。生きている限り、時間と能力が許す限り働きたい。そんな人たちの生き方や働き方についてお話を伺います。今回紹介するのは、団地でひとり暮らしをする77歳の漫画家・齋藤なずなさんです。インタビューと齋藤さんの作品『ぼっち死の館』第1話の前半を紹介します。

齋藤なずなさん
団地で暮らす漫画家の齋藤なずなさんの仕事場は6畳の和室。ロフトベッドの下の仕事机には調べ物をするパソコンや画材、資料などあらゆるものがぎっしり!
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40歳で漫画家デビュー。高齢者の暮らしを描くようになるまで

齋藤さんは1946年生まれ。もうすぐ78歳になる現役漫画家です。独特のタッチで高齢者の暮らしぶりをリアルに描き出して話題の漫画、『ぼっち死の館』(小学館刊)の主人公は、齋藤さん自身がモデルになっています。タイトルの『ぼっち死の館』とは団地のこと。齋藤さんが暮らしている団地がモチーフになっているのです。

「目はかすむし肩はこるし。仕事は少しでも頭がハッキリしている午前中にすることにしています」

齋藤さんがデビューしたのは1986年。40歳でした。初の漫画作品『ダリア』が小学館の『ビッグコミック』新人賞を受賞したのです。しかし40歳でデビューとは、漫画家としてかなり遅咲き。そこに至る道のりも、平たんではありませんでした。

●もともと絵を描くのが好きだった

下書き
コマ割りを考え、下書きをする齋藤さん。どんな角度からキャラクターの顔をとらえたらよりドラマチックになるか、試行錯誤を繰り返します。下書きから完成まで、同じ絵を4回ほど書き直すのだといいます

「短大を卒業後、アルバイト的な仕事ばかりしていました。ちゃんとお勤めしようと思ったとき、新聞の求人欄で『働きながら英語も身につきます!』っていう英会話学校の求人を見つけたんです」
仕事は主に受付や事務など。そして英会話は?
「ぜーんぜん(笑)。そのうち、同僚がひとり、辞めることになった。彼女はリスニングルームでホワイトボードに映し出すスライドや、テキストに挿し絵を描く仕事をしていたんです。元々絵を描くのは好きだったし、それを私が引き継ぐことになったんです」
それがスタート地点となりました。

やがて、教材を印刷する会社の人が、出版社に転職。齋藤さんにイラストの仕事を紹介してくれるようになります。

「当時、浅野八郎っていう手相占いの先生がいて、手相をイラストに描き起こす仕事をするようになりました。この先生がずいぶん顔の広い方でね。新聞やら雑誌やら、いろんなところにご紹介いただいて、どんどん仕事をするようになったんです」

●スポーツ新聞の仕事で鍛えられました

画材
ぎっしりと建てられている画材の数々。「いまだに手描きですから、必要なものが多いんですよ」

やがてスポーツ新聞に毎週ルポルタージュを連載する、という仕事がやってきました。「ライターと一緒に全国各地へ行って取材するんですよ。スポーツ紙ですからプロ野球やら相撲の巡業やらが多かったかな。あとはお色気ものね。風俗店へ行ったこともありました。かと思えば『モナ・リザが来日!』なんて美術館を取材したり。高尚なものから低俗なものまで、もうごった煮(笑)。取材したらすぐ絵にしないと、〆切はすぐに来ちゃうんです」
そんな取材を毎週毎週8年間! ざっと400本近い記事をつくったことになります。

「人間をそのまま描こうとすると、えげつないものに出くわすことだってあります。漫画家というのはキャラクターの顔を書き分けるんですが、この時代に老若男女、ありとあらゆる人の顔を描き続けたことで鍛えられた気がします」