●小説に経験をそのまま入れ込むことはないけれど…

作中には、いじめ、モラハラ、ママ友マウント、親からの圧など、現代日本のさまざまな問題が描かれています。では、寺地さんは小説にご自身の経験を入れ込むことはあるのでしょうか?

寺地はるなさん
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「私は、経験をそのまま書くということはしません。でも、そのとき芽生えた“感情”は書き留めて、頭の中に取っておく。頭の中に感情を残しておくと、『なんかこんな感情あったな…』みたいな感じで出てくるんですよね。そして、その取っておいた感情を、そのときとは全然違う場面で作品にのせたりします」

“黒テラチの真骨頂”と表現される本作は、これまで上梓した作品とは少し違った人間の感情が描かれていますが、書き上げるときに大切にされたことを尋ねてみました。

「タイトルにもある“翼”は、『いじめられていた子が自分で努力して幸せになりました』、『私たちには翼があって新しい未来に羽ばたける』みたいな、その子の経験としてはイヤだった出来事のはずなのに、キレイな言葉や聞こえのいい言葉で伝えることはしたくなかったという意味があります。

そのとき感じたイヤな気持ちを必ずしも受け入れる必要は絶対ないし、許せないと思ったことは許さなくていい。忘れられないことは忘れなくていいということを本作では最後まで言いたかったし、言おうと思った。だから、話の中で分かりやすい和解とかキレイな結末にしないようにと思って書きました」

普段隠している嫉妬や劣等感に気づいたとき、心が苦しくなったりもしますが、それは悪いことではない、だれしもがそうなんだと思わせてくれるのも作品の魅力のひとつです。

●友達は少なくても、いなくてもいいんじゃないか

そして、作中でも何回か出てくる「友達」という言葉は、物語を語るうえで大変重要になってくるもの。そして、この「友達」という言葉は寺地さんからの強いメッセージも込められています。

寺地はるなさん

「ある日、エゴサーチをしたときに、『主人公の友達に同性が出てこない、だから作者は友達がいないんだろう』って書かれた投稿があったんですよ。“ん?”なんて思いもしましたけれど、でもそれってなぜだろうか…? って考えたら、きっとその人自身が、『友達はいなきゃいけないもの』、『いないことが恥ずかしいこと』って意識があるからだと感じたんです。

確かに小説とかって主人公の周りには友達がいるんですよ! 私もほとんどの場面で書いているなって思ったし。でも、友達はすばらしいものだけど、いなきゃいけないものだと思いすぎている部分もある。それに、『友達はいいものだ』っていうメッセージがツラく感じてしまう方もいるかもしれないんですよね…。

だから、私はその友達が少なくても、いなくてもいいよってことをかけたらいいなと思ってこの作品を書きました。とくに、“友達”にまつわる小説の最後のフレーズがすごく好きなので、ぜひ最後の章にたどりつくまでがんばって読んでほしいです」

想像を超える本作は、これからの読書の秋にふさわしい1冊なので、ぜひチェックしてみてくださいね。

わたしたちに翼はいらない

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