日本では6割の夫婦が陥ると言われるセックスレス。「みじめな姿はだれにも見せたくなかった」と話すのは、若き日にレスに悩んでいたという主婦の由佳さん(仮名・50代)。ごくわずかな生活費を渡されるだけで、ワンオペ育児をこなしながら、義理の母親の介護を引き受けていたという経済的DVに苦しんだ日々を振り返っていただきました。
結婚したのは、釣った魚にエサをやらないタイプの夫
私が夫と結婚したのは25歳のときです。当時、伝説的な人気を誇っていた占い師のところに友達と一緒に行った際「60年に一度の幸運気。人生を変える出会いがある」と言われ、私は舞い上がっていました。
ちょうどそのタイミングで、親族にすすめられたお見合いで出会ったのが夫です。これは運命だ! と思い込んでいたのですが、今になって思えばどん底人生の始まりでした。
●自称「お金のプロ」の経済的DV
すべての画像を見る(全4枚)夫は銀行員で、休日も襟つきの服を着ていることが多く、とにかく真面目そうというのが第一印象でした。私は結婚と共に妊娠が発覚したので、それまで看護師として勤めていた病院を退職。
交際時は、デート代を全額支払ってくれる人だったので気前がいい性格なんだなと思っていたのですが、結婚後は一転。夫から生活費という名目で毎月10万を現金で渡されるのみ。それでもなんとかやりくりしていたのですが、この10万円すら、まともにもらえたのは初めの頃だけで、どんどん減額されていきました。
夫の言い分は「子どもの将来のために節約してくれ」ということだったのですが、明らかに自分で遊んで使い込んでいる様子。私が「貯金ちゃんとしてるんだよね?」と聞いても「俺は(銀行員だから)お金のプロ。由佳とは違うんだよ。偉そうに口出しするな」と言われてしまって。それ以上なにも言い返すことができませんでした。こうして夫の経済的DVがじわりじわりと始まったのです。
●私の母を無意味に侮辱。モラハラな本性も見え隠れ
結婚した翌年に女の子が誕生。けれども、育児は完全ワンオペ。夫は休日も接待ゴルフという名目での外出を繰り返していました。
しかも、実家暮らしだった夫は家事全般なにもできないどころか、靴も靴下も脱ぎっぱなし、自分の風邪薬でさえこっちが管理しないときちんと飲めないようなだらしのない性格だったのです。私は妻というよりも夫の母親のような生活を強いられるようになりました。
子どもが生まれてからは私の体調面の問題もあり、夫婦生活の余裕も完全になくなりました。ひたすら目の前にある育児と家事に追われ、1日なんて24時間じゃたりないほどあっという間に終わりました。
ときどき、独身時代と同じように自由な生活をしている夫を見ていると「私はただの家政婦では?」と思い、台所でひとり泣いてしまうことも。
そんな私を見かねて、手を差し伸べてくれたのが私の実の母です。都合をつけては家事や育児を手伝いに来てくれて、私の愚痴を聞いてくれていました。しかし、そんな母に対しても「お義母さん(私の実母のこと)、うちに出入りするのはいいんだけど、もう少しまともな服を持っていないのかね」といやみを言ってきたのです。
私の実家は父が若くして他界していたため、裕福ではありませんでした。女手ひとつで必死に私を育ててくれた母はぜいたくを知らないし、確かに身なりに気を使っていなかったのですが、そんな言い方をされるなんて。
当時は“モラハラ”なんて言葉もなかったので、屈辱的な感情を表現するすべもなく。ただただ驚いて、なにも言い返せなかったことが今でも悔しいです。