●梅のためにアパートを一棟借り

梅干しづくり
(ご本人提供写真)
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「辻留」時代、私は千葉県市川市の4畳半ひと間の木造アパートに住んでいました。

最初は5kgの梅干しづくりから始めたのですが、鎌倉の農家から分けていただけるようになると、10kg、20kg、30kgと年々増えていきました。そして、自分で漬けたお宝を眺めているのが至福のときでした。

ところが、販売しているわけではないので、梅干しは毎年増える一方です。

部屋がどんどん手狭になっていくので、アパートの間借り人が出て行くたびに私が借り、ついには6室を持つ二階建てのアパートを一棟借り。それでも足りなくて、お隣のアパートをさらに2部屋借りて、合計8部屋借りることになりました。

なんとか梅の保存場所は確保したものの、干す場所には往生しました。最初はアパートのトタン屋根を利用したり、お隣のビルの屋上や空き地をお借りしたりしていました。でも、極上の梅干しづくりの仕上げには、たっぷりの夜露が必要なんです。これが街中ではなかなか望めない。

最終的にはご縁あって、鎌倉のお寺の山の中で干せるようになりました。ここは十分な夜露が降りるので、梅の弾力やしわ加減が断然いいのです。100年先まで生きる梅干しづくりには、自然環境がとても大事です。

●じつは酸っぱいのは苦手だった…

大きい声では言えませんが、私は酸っぱい食べ物が苦手でした。

梅干しは食べるよりもつくるのがおもしろくて続けていました。梅肉エキスジュースは毎日欠かさず飲んでいましたが、梅干しは夏場や疲れたときにしか口にしませんでした。

梅干しのおいしさに目覚めたのは、20年ほど前に体調を崩して入院をしたとき。病院食が口に合わずなにも食べられなくなったんです。ある日、後輩がお見舞いに来て、お守り代わりに持っていた自分の梅干しを置いていってくれました。

その晩、初めて梅干しをおかゆに入れて食べたらおいしくて、200gものおかゆをペロリと食べてしまいました。気分はすっきりとして、身体もシャキッとしました。今さらながら梅干しの底力を、身をもって体験したのです。

昔から「梅はその日の難逃れ」「梅は三毒を断つ」というじゃないですか。先人たちの知恵には頭が下がります。

このときから私も自分でつくった梅干しを毎日食べるようになりました。とくに、梅仕事が忙しいときは疲れてなにも食べる気がしない日があります。そんなときは、おかゆにくずを溶いて梅干しと一緒に食べると、徐々に食欲が戻ってきます。最近は、おかゆを多めにつくり冷凍しておくようにしています。

梅おばあちゃんの贈りもの』には、このほかにも、乗松さんの梅仕事や料理レシピを多数掲載されています。さらに、家族ぐるみでつき合いのあった文筆家・内田也哉子さんとの対談も収録。暮らしに役立つヒントが満載です。

梅おばあちゃんの贈りもの: 82歳の現役職人が伝える梅仕事と暮らしの知恵

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