●どんどん進む娘たちの自立に困惑も…

――わが子が自分の道を見つけて歩き出せば、どんなに仲よしの親娘だったとしても、親離れ子離れの季節がやってきますね。

柏木:主人が亡くなって以来、3人で川の字で寝ていたはずが、「ここは狭い」とか言って1人、また1人と自分の部屋へ戻ってしまい、いつのまにか私1人になっちゃって。当たり前ですが、それがすごく寂しかったんです。

振り返れば、私はこのあたりで子離れの準備をしておくべきだったのです。でも、できていなかったのでしょうねえ。まず舞子が、宝塚音楽学校を目指して猛レッスンを開始。努力を重ね、本当によく頑張って、高校2年のときに合格をいただきました。入学式の晴れ姿を見て私は泣きっぱなし。

そんな感激をかみしめている間もなく、舞子はさっそうと学校の寮へ入ってしまいました。

必然的に始まった花子と2人の生活。子離れができていなかった私は、寂しさのあまり花子に依存気味で、ついついあれこれ干渉してしまう。

「今日はどこへ行くの?」「だれと?」「何時に帰る?」「もっと早く帰って来られないの?」――うっとおしい母親だったと思います。

これもあとになって花子から聞いたことなのですが、10代の頃は「ママとの約束があるから」と友だちからの誘いを断ることも多かったのだとか。それで、友だちから「なんでそんなに親に気を使うの?」と問われ、「あれ、うちって普通と違う?」と思ったそうです。

「今日は友だちと約束があるからダメなの」と私に言いたくても言えなかったのでしょう。あの年頃ならボーイフレンドもほしかったかもしれません。でも、私はそんな悩みに気づくことができなかった。

主人の事故で3人になり、何でも相談し合って結束してきた私たち3人。でもその関係を1度ゆるめる時なのかもしれない。

胸が張り裂けそうな寂しさ。でも、それが自立ということなんですよね。

おしゃれは楽しんでいましたが、それは趣味というよりも日常そのもの。あの頃、花子からも舞子からもよく言われたのは「ママはもっと友だちをつくった方がいいよ」「趣味をたくさんがもった方がいいよ」。

そう、それは私の子離れへの第一歩。私もそう自覚して、テニスサークルに顔を出したりするようになりました。

花子が突然、ひとり暮らしをしたいから家を出る、と言い出したのは、そんな矢先のことです。びっくりしたし、せっかくお家があるのに、わざわざ離れて暮らさなくても、とも思いました。本音を言えば、ストップをかけたかった。けれども、花子が決意したことだから、もう見守るしかないと思いとどまりました。

52歳。花子のひとり暮らしをきっかけに、主人の遺した広い家で本当に1人になるときが来たのです。

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