●仕事があったから家でも頑張れた

でもね、私には教員の仕事があったからずいぶん救われたんです。嫁という立場だけならこの家にはようおらなんだ。学校では子どもたちを存分にかわいがって、自分らしくいられました。子どもたちの親とも親しゅうなってね。自分が生きる場所がちゃんとあったから家でも頑張れたんかもしれません。

まあ、良英さんは、仕事は真面目でほんと人から慕われとったんですけど、豪快で毎晩人を連れてきては大酒を飲むんでございます。自分の給料は人付き合いと飲み代に消えてしまう。じゃから私が稼ぐしかなかんかもしれんけどね、ふふふ。

仕事があるというんは、そういう意味でも自分の存在意義というんか、心を守ってくれました。

●過去の自分も丸ごと好きと認めたい

お茶を飲むおばあちゃん
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振り返れば、私もいじらしいです。義理の両親をみとって、教員を退職してから、ようやく肩の荷が下りた気がしました。それまでは隙をつくらないよう鎧をつけたようなものでしたから。

でも、それも無駄ではなかったと思います。痛い思い、切ない思いをしてようやく行き着いたのが今の私です。とがっとった過去の自分も嫌いじゃあない。あれも正真正銘の私です。丸ごと好きよと認めてやりたいです。

そうそう、良英さんが亡くなる前にこう言うてくれたの。「子どものことは気に病まんでええ」って。嫁の私一人がしんどいと思うとったけれど、あの人も一緒に背負うてくれとったんかもしれん。あの最期の言葉のおかげで、心を切り替えることができました。しんどい時があったからこそ、肩が軽うなった今の暮らしが喜びに満ちてるんかもしれんなあ。自分で自分を褒めてやらんといけんです。

ご機嫌で元気な暮らしに多くの読者が惹きつけられる、哲代さんの暮らし。『102歳、一人暮らし。哲代おばあちゃんの心も体もさびない生き方』(文藝春秋)では、日記形式で日々の暮らしを紹介しています。

 

102歳、一人暮らし。哲代おばあちゃんの心も体もさびない生き方

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