フレンチのシェフから家政婦に転身し、その気軽でおいしいレシピが大人気のタサン志麻さん。

自身のパーソナルマガジン『à table SHIMA vol.03 冬号』に加えて、新刊『志麻さんのベストおかず 料理のきほん編』も大好評発売中。そんな志麻さんのインタビュー第3弾。今回は、志麻さんの現在までの道のりや思い語ってくださいました。

志麻さんのインタビュー第1弾・第2弾はこちら

タサン志麻さんが大切にしていること。「料理が苦手ならやらなくていい」と話す理由タサン志麻さんの毎日の食卓。家族間で大切にしているシンプルなルールとは

タサン志麻さんが“伝説の家政婦”になるまで。和食の料理人を目指すも、フレンチの奥深さに開眼

タサン志麻さん
タサン志麻さん
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――レシピ、料理についての思い、子どもたちや夫への思いなどを通して志麻さんから一貫して感じられるのは、人としての温もりや温かさ。その一方で、生きることへの情熱や、芯の強さもファンを惹きつけてやみません。“伝説の家政婦”として世間での認知度が大きく上がった志麻さんですが、どのようにして、今のような生き方ができあがっていったのでしょうか。

「出発点は高校を卒業後、料理人を志して調理の専門学校に入ったところからです。じつはその頃の私は、和食の料理人を志していて。今のタサン志麻=フランス料理というイメージからは意外かもしれないですよね。

でも料理を本格的に学ぶうち、フランス料理がもつ温かさや、食を大切にする文化に惹かれてしまい、19歳からの1年間は、現地の空気感を味わおうと留学もしました。帰国後は、日本でフレンチの調理師をしていました。調理師時代は、料理の修行と、残りの時間はすべてフランス語を学ぶ、フランス映画を観るなどのカルチャー的な学びの時間に充てていたので、睡眠時間が3時間という日もザラでした。

留学時代
フランス留学時代の志麻さん(『à table SHIMA vol.03 冬号』より)

でもそこでひとつの疑問にぶち当たってしまったんです。日本で受容されているフレンチは、どことなく敷居が高くて、一部の人しか行けないようなお店が多い。でも本当のフランスの料理は、私が育った田舎の祖母や母、友人達が気楽に行けるような、ほっと和めるものなのに…と。周りの調理師仲間や先輩に、そんな悩みを相談したりもしましたね。

でも『だったら、本場のフランスに行けばいいんじゃない?』というような感じで。ぴったりくる回答は他人からも、自分の生活の中からも得られなくて。心のモヤモヤは、調理師の年数を重ねるにつれ、さらに大きくなっていきました」

●日本でのフレンチ料理と、伝えたいフランスの家庭料理との乖離に悩んだ修業時代

志麻さん

――そこで志麻さんは、当時働いていたオーナーに「お店を辞めて、自分なりのフレンチについて考える時間が欲しい」と相談するも、お店の経営事情もあり、却下されてしまったのだとか。

「それでも葛藤は晴れず、最終的にはシェフに謝罪の置手紙と、包丁を残して、まるで逃げるような形でお店を辞めました。料理人の世界は厳しいですから、人として最低の辞め方をしてしまった私は、もうフレンチの世界には戻れません。生活以外のお金は全部フランス文化の学びに投資していましたから、貯金もゼロ。そこでまずはフランスへ留学するための資金を貯めようと、居酒屋でアルバイトをすることにしました。30歳を過ぎて、同世代の調理人たちは自分のお店を持つようになっていた頃です」