当たり前を見直すこともときには必要
「独自の視点をもつということ」
まだ物事がデジタル化される前の時代。スウェーデンを訪れる際に肌身離さず持ち歩いていた私の携帯用の辞書は表紙が革でできたしっかりとしたものでしたが、その革の表紙は丁寧にビニールで覆われ、なおかつ厚紙の箱でカバーされていました。
すべての画像を見る(全5枚)そこになんの疑問も感じることはありませんでしたが、それを見たスウェーデン人の友人たちは、その辞書を見て大いに盛り上がっていました。丈夫だからこそ選ばれた素材の革を人工的で弱いビニールで守ろうとすることがいかにも、日本人らしいのだとその友人らに教えられました。
当たり前と思っていた習慣を指摘されたようで居心地の悪さを正直感じはしましたが、言われてみれば、なるほどと納得もします。
●たくさんの情報に疲れたら…
SDGsの現代に至っては、過剰包装の見直しは必須の世の中です。それでも、何にでもカバーをしたがる日本人気質を愛しく思う自分もいます。カバーをしたがる日本人の気質にだって、なにかしらの歴史があって遺伝子に組み込まれたのかもしれず、興味深い点です。
いずれにせよ世の中、白か黒、表か裏で片づけられるような事柄なんて、じつのところほとんどないのではないでしょうか。今私たちは物事を独自の目線で見極めていく力を試されているのだと思います。そしてそれはちょっと、しんどいことのように思います。
だからこそあふれかえる情報社会に疲れを感じたときには、極端な意見に惑わされるのではなく、時間軸を少し傾けて眺めてみませんか? 夜と朝では、物事が違って見えてくるように、きっと穏やかな世界が見えてくる気がします。