●上手に立ち回っていた子ども時代
ーー関さんのお話を聞くと、負の感情とも上手にお付き合いされていると感じますが、その切り替えのうまさは子どもの頃からでしたか?
関:そうかもしれないですね。記憶に残っているのは、中学1年生くらいのときに、隣の席の女の子と仲良く話していたら、「好きなんだろう」って感じで噂になり、周りから結構冷やかされたんですよ。当時は思春期真っ只中だったので、恥ずかしさや、学校に行くのがイヤだな…って気持ちになってしまって。
すべての画像を見る(全9枚)でも、そうやって悩んでいたら、ふと夏休みまであと少しくらいだということに気づいたんですよ。夏休みが始まったらそれなりの日にちが経つわけで…「人の噂も75日」ということでみんな言わなくなるだろうと、頭の中で整理して考えたら気がラクになりました。
――子どもながらも大人びた考えをお持ちだったんですね! そういう風に考えるきっかけはなにかあったのでしょうか?
関:なんでですかね…?(笑)。でも、ひとりっ子で、両親も共働きであまり会話するタイミングもなかったので、考える時間や自分で解決しないといけないことも多かったですね。だから自然と自問自答するということが身についていき、頭の中で考えて整理して折り合いつけるのが得意になったんだと思います。
学校の先生からも「なにを考えているかわからない」と言われて、周りほど頭ごなしに怒られるということはなかったですし。怒られる前に先手を打って上手に立ち回る“ずる賢い”タイプというか…そういう落ち着いた面がある一方で、「みんなの前で目立ちたい」というおちゃらけた部分もありましたよ。
●怒られるのがイヤだし、それを恥ずかしいと思った
ーー聞けば聞くほど、“関少年”は子どもとは思えないエピソードをおもちですね。
関:みなさんもそうかもしれませんが、小学生の頃とか親から「いい子」ってほめられるとその気になりますよね。だから自分は賢くていい子だと思っていましたが…両親以外の方に叱られたときに、己の浅はかさに気づかされすごく恥ずかしかったんです。「自分はいい子だと思ってたのに、意外と全然悪いやつじゃん…」みたいな。
そのギャップを埋めたくて、悪さをして叱られたときは再度怒られないように原因やそのあとの言い訳の仕方とか、そういうものを自分なりに精査して次に生かしていきました。そうした積み重ねこそが、「頭の中で整理する、考える」ということにつながったんじゃないですかね。
●両親以外から怒られた経験から学んだ大切なこと
――たしかに、怒られることで「ドキッ」と気づくこともありますよね。
関:親がしつけとして子どもを叱ることは多々あり、僕も例外ではなく怒られてきたのですが…それよりも、親戚やなにかで知り合った方に怒られたことの方が強く記憶に残ってますね。
すごく覚えているのは、親族でトランプゲームをした際に、ルールを知らないから参加しないということをひねくれた感じで伝えたら、叔母さんに「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」って言われたんですよ。小学生だった僕は初めてその言葉を聞いたんですけど、ものすごく恥ずかしくて、自分は恥なことをしてしまったんだ…と感じましたね。
そこから「人から教えを乞うということを恥ずかしがっていると一生それを知らないままで恥ずかしい」とわかり、次からは積極的に学ぼう、教えてもらおうという気持ちになったのを今でも覚えています。ほかにも、悪いと思ったことに対しては言い訳せずに素直に認めて謝罪するってことも、怒られた経験から学びました。