●私の知らなかった父の姿。親戚や同僚がお悔やみに来てわかったこと
すべての画像を見る(全3枚)葬儀後の対応が大変だったということ以外にも、やはり「通常の葬儀にしたほうがよかったのかも?」と思った理由がありました。それはご連絡くださった方々のお気持ちです。
たとえば親戚です。私たちは高齢の4人の従兄弟たちには父が亡くなったこと、葬儀を終えた旨の連絡をしました。するとそれぞれが、父との思い出を話してくれたのです。私の知らないところで、父は父なりに、これら親戚たちとつながりをもっていたのでした。
また別の日には、教員だった父の後輩にあたる先生が数人連絡をくださり、父の自宅までやって来てくれました。私たち姉妹とも交友のあった先生たちで、皆さんすでに退職をされていました。
思い出話に花を咲かせていると、お一人が「もう亡くなっているのでいいと思うけど…」と口を開き、父が「別邸」をもっていたという“暴露”をしてくれました。
ある日「ちょっと飲みに来ないか?」と父に誘われ、小じんまりとした日本家屋に連れていかれたそう。「○○さん(父)の趣味らしく、純和風の書斎風の造りで、時々書斎代わりに使っていると言っていたな」とのことでした。
この話に私はピンときました。じつは父は浮気をしていたことがありました。後年、事の経緯を私は生前の母から聞いたのですが、その別邸の用途は容易に想像がつきました。
そんな話はあったとしても、父が学校の垣根を超えて20代、30代の先生方中心に研究会を立ち上げ、先生の教育スキル向上を目指したことを懐かしく話してくれました。確かに子どもの頃、わが家には、毎月数十人の先生たちが集まり、熱く語り合っていたものです。
「○○先生(父)が現場を離れて管理職になった時には、遠くに行ってしまったようで寂しかったなあ。一緒にいろんなことを試したあの頃は、僕らにとっても“青春”なんだ」と、その先生は話してくれました。
●「家族葬」を後悔しても遅いですか?
父の死後、数人の方々とお話をする機会があり、気づいたことがあります。父は独善的で、自己中心的な人でしたが、その欠点を知っても、父を慕ってくれた人たちがいたということでした。それに、私の仕事に対する姿勢は、父から学んだものでした。私は大人が大マジメに熱く、激論を交わす姿を見て育ちました。その中心にいるのはいつも父であり、「一生懸命がんばるのはよいことだ」と、その姿から学んだのです。
そんなことをつらつら考えていると、家族葬は私たちのわがままだったかもしれない、といった気持ちに変わっていきました。いろいろな方が父とお別れをする機会を、なくしてしまったからです。
大手葬儀社・公益社の1級葬祭ディレクター・安宅秀仲さんにうかがったところ、今回のようなケースはよくあることだと言います。
「家族葬は葬儀のときはよかったけれど、その後、今回のように後悔するケースは多いんです。そのため弊社では、故人が生前交友関係の広い方の場合、後々を考えれば通常の葬儀をしたほうがよい場合もありますよと、アドバイスをしています。
参列者が予想以上に増えた場合も少なかった場合も、状況に応じて対応できます。参列者に渡す返礼品は使った分だけ支払うのが一般的ですし、多く用意しておいても余分に支払う必要はありません。心配事は小さなことでもお話いただければと思いますね」
こういうときこそ、自分たちだけでは決めず、葬儀社さんに相談しておくことを私の経験上もふまえて、おすすめしたいと思います。
【長根典子さん】
1971年横浜生まれ。制作会社勤務、50代向けファッション通販誌副編集長などを経て、フリーランスライターに。1人息子とプラハへ移住するもコロナ禍で帰国。ビジネスや投資のほか、子育て、ライフスタイル、ファッションなどの分野でも執筆。著書に『
成長する組織をつくる目標管理』(労務行政)、『
誰が司法を裁くのか』(リーダーズノート新書)など。趣味は英語、FX、アート。