●滞りなく行われた家族葬
すべての画像を見る(全3枚)1週間後、姉家族とともに小さな葬儀会場へやってきました。残ったわずかな親戚はもちろん、互いの義理両親、つまり双方の夫の両親も呼ばない小さなお葬式でした。
親戚を呼ばなかった理由は、父は親戚のなかでも浮いた存在だったからです。父の兄弟は年の離れた腹違いの兄が2人だけで、すでに故人。私たちの従兄弟である父の兄の子どもたちは4人いましたが、彼らはむしろ父と同世代。ほぼ同じ年なのに何かと「叔父風」を吹かす父を、従兄弟たちは快く思っていませんでした。すでに高齢な彼らを、葬儀に呼ばなかったからといって、感謝されこそすれ怒られる心配もありませんでした。
親戚を呼ばないことは、義理両親へのちょうどよい言いわけにもなりました。出席しなくとも義理が立つのであれば、そこを押してまで父の葬儀に来る理由は、どちらの義理の両親にもありません。
そういったわけで、私たちはストレスなく父の葬儀を終えることができました。
●葬儀後、思いがけない対応に追われることに…
葬儀を終え、私たちは父の死亡案内の発送作業を始めました。数年分の年賀状を整理してできた住所録の宛先は80件ほど。送付先が予想以上に少なく、この時も不必要に大きな葬儀を行わないでよかったと思っていました。
死亡案内は、オンラインで注文。印刷から発送まで行ってくれるサービスがあり、お願いしました。リスト作成からこれらの手配まで、半日ほどで終了したことを考えればじつに簡単でした。
こんなふうに私たちは、自分たちがストレスにならない形で進めていったのです。でもそれが本当によかったのか…と疑問に思う部分も出てきました。
後日、通知を受け取った古いご友人や仕事関連の組織から連絡がありました。とくに父が所属していた機関からは、会員が死亡すると葬儀場に飾るための記念品を出すらしく、その手続きをしたいという連絡でした。葬儀も終えているので辞退しましたが、そのやり取りや手続きにじつは手間がかかりました。通常の葬儀をしていればスムーズだったのでしょうが…。
またそれほど多くはありませんでしたが、お焼香がしたいとのお申し出もありました。いろいろな理由から遺骨は父の家に置いてあったので、その都度日時を決めて父の家に行くことになりました。
ご連絡自体はありがたいのですが、こういった対応をしていると、葬儀をすれば一度で終わったのかも…と、感じるようになりました。