「『流産』という衝撃的な現実が今起こっていることを思い出すたびに涙が溢れてきました。未来が完全に変わってしまったことにとにかくショックでしたね。たしかに、医師からは『全体の15%の方が初期で流産をします』とは言われていました。それがまさか自分だなんて…。悲しみのなか、処置手術の同意書に2人でサインをしました。夫は決して私を責めることはせず、ひたすら寄り添ってくれました。もうそれだけが救いでしたね」

エコー写真とマタニティマーク
妊娠したときのエコー写真と雑誌の付録のマタニティマーク。今も捨てられずにいるといいます
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しかし、Wさんの悲劇はこれだけで終わりませんでした。あれから2度目の移植に挑み、妊娠。またも同じ結果になってしまったのです。

「一度、流産をすると、2~3回の生理を見送らなければならず、私は半年ほど体を休めました。もう同じことは2度と起こってほしくないし、治療からフェードアウトしようと思っていました。ですが、ある日、病院に凍結していた受精卵の保存期限が迫っているという連絡を受け、破棄するか移植するか決めなくてはいけなかったのです。受精卵であっても命なのだから破棄はできない。やっぱり治療から逃れられない…。そんなこんなで傷は癒えないまま、急かされるように3度目の移植をすることにしました。結論を言うと、妊娠はするものの、今回も流産という結果になってしまいました。2度目となると、もう涙も出てきませんでしたね」

2度の流産の確率は1度の流産よりも起こる確率は下がり、該当した人は不育症や夫婦いずれかに染色体転座があると疑われるそうです。これからまだまだ原因を探る検査をする必要があると医師からの提案は受けるも、いよいよ出口の見えない治療の泥沼化に、Wさんは「もう妊娠するのが怖い」と一時期、軽いうつ状態になってしまったといいます。

夫は「2人で生きていこう」。治療から離れた今が幸せ

手をつなぐ
この3年間で強まったのは夫婦の絆(※写真はイメージです)

「お金も体力も精神力もあらゆるものを消耗して、今はこの先のことをなにも考えたくありませんが、この数年でなにを得られたかって考えたら、けっしてすべてがマイナスなわけではないんです。いちばんよかったのは、夫婦の絆が深まったことですね。悲しいことはたくさんあるけど、夫がいるだけで『それ以上でもそれ以下でもない』幸せがあることを実感しました。今、少し治療をお休みして薬も飲まなくていいし、期待しなくてもいい平穏な日々を送れています」

Wさんはそう振り返ります。子どもを望んでいた夫も、この3年を経験して「子どもがいなくても、たりないわけじゃない。2人で生きていこう」と言ったといいます。

「子どもに執着しないことを決めたらラクになりました。もちろん子どもを望んでいるけど、それは『夫との子どもが欲しい』から。だから、養子縁組については考えませんでしたね。もちろん、この先授かるかもしれないし、生理という“可能性”がある限り、完全に諦めることはできないと思います。この年になると、周囲にも治療をする夫婦が増えました。すぐ実を結ぶ人もいれば、私たちよりも長く治療に励んでいる夫婦もいます。今は、未来の夫婦がこういう苦しみを味わわずに少しでも成功率が上がるよう医療の発展を願わずにいられません」