●医療機器とスマホアプリで「自己管理は完璧」と女医先生も太鼓判
すべての画像を見る(全3枚)これほどの元気の秘密は、どこにあるのでしょうか? どこか、お体に悪いところや、病気の経験は? 広島や長崎の被爆者といえば、長年後遺症に悩まされる方が多い、という印象ですが…。
「元気ですが、これでも肺がん、脳梗塞、一通り大きな病気はしてるんですよ」と京子さん。
とてもそうは見えませんが…。
14年前、長崎から上京したとき、京子さんは富美子さんの全身をくまなく、健康診断してもらいました。
「その時にお世話になった先生方が、今も私の主治医。体のことは隅々まで、わかっていただけています」
肺の影が悪性腫瘍だろうと診断されたとき「ばっさり取っちゃってください」と言い切ったという富美子さん。その思いきりの良さは家族も驚くほどでした。
脳梗塞はまさに九死に一生でした。
「母は朝起きたらお化粧するんですが、ある朝、どうしても眉が描けないって言いだして」(京子さん)
ペンシルを握ったまま、どうしてもペン先が顔まで届かない、と困惑しているのを見て、これはおかしい! と即、病院へ。脳に血栓ができていました。
「あと3時間遅かったら、右半身がダメになっていたかも、と言われました」
そんな森田さんの健康管理は万全です。スマートウォッチで心拍数や血圧も管理。血糖値を計るデバイスも装着しています。それらのデータは自らスマホに打ち込んで、管理も万全。少しでも異常があれば、気づきやすくなるよう、備えています。
この万全ぶりには、主治医の女医先生も太鼓判を押してくださっているといいます。
●亡くした家族への思いが原動力に
アート系の大学を卒業後、ヘアメイクアーティストとして活躍する娘の京子さんが「学び直したい」と青山学院大学の大学院に入学したときも、富美子さんはじっとしていられませんでした。
「父兄向けの公開講座があれば申し込み、大学の入り口のベンチに座っては、行き交う学生のファッションチェックをしてるんです」
「親を亡くした私の身元を引き受けてくれたのが、叔母夫妻でした。叔父は血はつながっていないけれど、本当に良くしてくれた。洋裁学校にも行かせてくれたし、趣味を持とう、って社交ダンスも習わせてくれて。育ての親には感謝しかありません」
洋裁を学んだ経験から、今もファッションは大好きです。
「家の近所に東工大があるんですけど、そこの学生は青学の子たちとは全然服装が違うの。それを見るのが楽しくてね」
近所に小さな子どもがいると、ついついプレゼントを買ってあげたくなるのだとか。
「ほんの2歳、3歳で爆死した弟たちのことが、頭から離れないんです。孫や近所の子たちを見ると特にね。彼らができなかったこと、見たかったものはたくさんあったろうに。私がサボっちゃいけないと思って」
そんな富美子さんには、絵の趣味もありました。
「娘が大学で使っていた画材をもらって、独学で描き始めたんです。そしたら案外、評価されまして」
戦後まもなくから始まった絵画の同人活動『チャーチル会』にも所属。作品が選ばれて展示されたこともあります。1995年に発足した文化活動『アート未来』に応募して入賞したことも。
「じつはそのときの作品が、長崎に飾られているんです」
富美子さんが描いたのは、今はもうない、長崎にあった洋館の絵。
かつて自宅があった場所は、今は市民総合プールになっていますが、
「その市民プールの入り口が、家の玄関だった場所。だから、家の玄関に飾る気持ちで、入り口に飾ってもらおうと」
この京子さんの思い付きには市も大喜び。今も市民の集うプールの壁を飾っています。
「過去の人の分までがんばらなくちゃ。当時のことを知る人は少なくなりましたけど、私にできることはまだまだある。政治家の街頭演説はどの党であろうと聞きに行きます。コロナ感染者が少なくなっているので、衆院選ではまた足を運ぶつもりです。国や政治家に嘘をつかせてはいけません。隠ぺいや改ざんはもってのほか。国民も自分がすべき事をサボってはいけません。まずは投票。今は、#選挙に行こう #投票に行こう を毎日ツイートしています。そして今一番行きたいところは歌舞伎座です。また毎月歌舞伎を観に行く生活が戻ることを願っています」