●手術が無事に成功し、始まった入院生活

夫はステージ1の腎臓がんで、幸い転移もありませんでした。腎臓を一部切除する手術は無事成功し、回復までしばらく入院生活が始まりました。

夫はかなり周りに気を使う性格(がんのことも数年公表していませんでした)なので、しばらくだれとも面会したくないと言い、自分の両親やお姉さんにまで「今は来ないでほしい」と伝え、2人での闘病生活が始まりました。

病室に2人
2人で乗りきった、病院での闘病生活
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抗がん剤は不要でしたが、体調が戻るまでには時間がかかりました。40度近い熱が毎日続き、しばらくは会話をすることもままならない状態に。私はつき添いをしたといっても、氷枕を変えたり、背中から麻酔を入れたり、ナースコールを鳴らしたり…そんなことしかできませんでした。

それでも彼は「ありがとう」と言い、私が心配しないように「大丈夫、大丈夫」と何度も言ってくれ、この人は自分がつらいときにも人を気遣える、強くてたくましい人なんだなと気づかされました。

●突然の入院食拒否、リハビリ中まさかの失神!でも笑い合える時間だった

少し回復してきてからは「ご飯が食べられない」と病院の食事を拒否。先生に相談したところ「食べたいものを食べてもいい」と許可をもらったので、自宅から毎日つくっていきました。しかし、リクエストされたのは…オムライス、タラコスパゲッティ、卵ハムサンド、から揚げなどなど、病人食とは思えないようなものばかり。

ラップに包まれたパンなど
当時、毎日つくって届けていた食事

もう食べてくれたらなんでもいいや! と毎日、昼と夜の二人前をつくって病院に運びました。いちばん喜んでくれたのは、果物をたっぷり入れ、三ツ矢サイダーでつくったフルーツポンチだったと思います。それを「うまい! フルーツポンチってこんなにおいしかったかな?」と、すごくうれしそうに食べてくれました。

食べ物が食べれるようになってからはどんどん回復し、笑い合えるような出来事もありました。寝たきりの生活から始めて歩くとき、看護師さんがつき添って「歩く練習」をするんです。気合いを入れて「よし!!!!」と言って、立ち上がった瞬間、まさかの失神…!

看護師さんは、「川島さん、川島さーーーん!」と何度も呼びかけ、私は心配で青ざめていると、
「あ、すいません、寝てました」と彼が目をあけポツリ。
看護師さんが「いや、寝てるんじゃないです。失神です」と冷静につっこんでいて、笑っちゃだめだけど大笑いしました。

ほかにも、私が横になってると…

イスに寝る人

「なっちゃんの鼻と椅子が一体化してる」と急にゲラゲラ笑い出し、「痛い、痛いよ、笑かさないで! 傷が広がっちゃうから!」と笑いながら痛がり大忙し。私もその姿が面白くて二人で笑い合ったり、明るく接してくれたのでとても気が楽でした。

入院前の夫は仕事で忙しく、一緒にいられる時間が少なかったので「こんなに一緒にいれるのは最初で最後かも。もう楽しんじゃえ!」と思えるように。

「退院したらチーズが山盛りのピザが食べたいなあ」

「ハワイ旅行のためのお金全部、手術で消えちゃったね。いつか行きたいね」

「あきぷー(夫の呼び名)が回復して赤ちゃんが生まれたら、また2人でお酒飲みたいね」

と、話す会話は全部前向きになりました。