健康で元気なうちに、人生の最期について考えることは大切です。医学博士・管理栄養士として活躍をしてきて、現在ひとり暮らしをしている70代の本多京子さんに、自身の経験をもとにした後悔のない生き方について教えてもらいました。

棚
本多京子さん
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60代で住まいをダウンサイジング

60代で、住まいの規模を3分の1にする“ダウンサイジング”を実践し、暮らしをコンパクトにしました。自分の人生の「締めくくり方」を少しずつ意識するようになったのも、ちょうどその頃。70代になった今、これからの未来に向けて、「自分にとって不要なものを手放して身軽になれば、日々を心軽やかに過ごせるのでは」と考えるようになりました。

自分が最期を迎えるときに、家族や周りに負担をかけることなく、どれだけ身軽になっていられるか――。これまで洋服や食器などの「もの」はずいぶん処分してきましたが、70代以降は「過去への執着を捨てる」や「ひとつの方法にこだわるのをやめる」といった、精神的な意味での整理整頓が必要になってくるのかもしれません。

夫を看取った経験から考えたこと

本多さん
健康のためできることは少しずつ

終末期医療について考えておくことも、その一環です。夫がパーキンソン病を患い、入院中に医師から胃ろうを提案されたときに、わたしは反対しました。もし自分なら、口から食べられなくなることに抵抗を感じるだろうと思ったからです。一方で、娘は胃ろうに賛成。「できる医療ケアがあるならば、するべきだ」という理由からでした。

これから長く生きるのは、わたしよりも娘。「あのときお母さんが反対したから…」と後悔させないよう、彼女の選択を尊重することにしました。娘が決めたことならきっとよい結果につながるはずだと、夫も同意。死ぬ前になるべく多く娘と会いたい、という希望もあったようです(実際には病状の変化もあり、なかなか叶いませんでしたが)。

さて、次はわたしの番。

夫を看取った経験から、終末期医療について、改めて考えを整理することができました。そして「もし病気などで衰弱したときには、一切の延命治療は希望しない」という意思表明書にサインをすることにしました。ほかに要望として記したのは、苦痛を取り除くための緩和ケアは最大限行って欲しいこと、もし植物状態に陥った場合には、生命維持のための措置を取りやめて欲しいこと、そして、わたしの命を助けるために尽力してくださった医師や看護師の皆さんには、心から感謝しているということ。ひとつひとつの項目について、じっくり考え抜いたうえで署名しました。

どんな状態になっても、一日でも長く生きていたい、という人の思いも否定はできません。

ただ、わたしにとって「食べることは生きること」。自然にものが食べられなくなったなら、そのまま静かに衰えていくのも悪くないのではないでしょうか。