60代以降に向けて「手放したものと残したもの」

そんな体験も踏まえて、今回私が感じた処分したものと残そうと決めたものたちを少しご紹介します。

書籍
父が保有していた大量の資料や専門書籍
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まず書籍に関しては説明の通り、専門家の判断に任せてほとんどを引き取っていただき、それ以外の本は、処分。レコードもかなりの量を処分しました。雑誌は1970年代のレトロ感あふれるものを数冊残して処分。

●捨てる決断ができずに一時保留にしたものも

困ったのはやはり、次から次へと出てくるアルバムや、箱に入れられた未整理の写真たち。そしてそのネガフィルムやスライド写真でした。

おもしろいことに、未整理の写真たちは諦めがつきやすかったのですが、年代ごとに整理されたアルバムはどうにも処分することができませんでした。100冊は超える量のアルバムでしたから、果たして見返すことが今後あるかどうかもわかりませんが、一旦倉庫に保管することにしました。それ以外のネガフィルムや古くなりカビが生えてしまった8ミリフィルムやスライド写真は処分としました。

また古い洋服は、ほぼほぼ処分。私の部屋から出てきたデビュー曲の際の衣装や、初めての劇団の公演で父が縫ってくれた女王役の衣装は残すことにしました。

●「日記」は残す必要がない、と実感

柱
身長を記した柱

私の部屋から出てきた厄介なものといえば書きためていた日記帳です。今となっては、自分自身でさえページをめくる勇気が持てず、赤面してしまいそうな内容もちらほらとあり
ます。処分するにしても、目の前で燃やさない限り恥ずかしくてなりません。

じつは私は親友の1人に、万が一私が飛行機突然の事故かなにかで、ふいにこの世から消えてしまったときには責任を持って私の日記を処分するように託しています。

しかし今回の実家じまいをきっかけに、自らの手でまもなく訪れる60歳の行事の1つとして処分することにしようと決意をしました。

改めて日記を書くとは、なんなのかと自分に問うてみると、「日記は残したいために書く」のではなく、そのときどきの感情を吐き出して、その感情を咀嚼して、気が治ればそこで完了しているのではないかという結論に達したのです。だから時を経て読み返すことにはあまり意味もないので、60歳の行事に斜め読みにでも読破して燃やしてしまおうと考え、秘密の場所に保管としました。

●スケジュール帳は残しておくと便利

それと比較すると、あまり感情が記されていない年ごとのスケジュール帳は、忘れていたその当時の出来事が鮮明に甦ることもあり酒のつまみにもなり得るとの理由から残して置くこととしました。

●最も処分に困ったものは…

パンだとウクレレ
自宅に持ち帰ったパンダのぬいぐるみとウクレレ

そして処分に困った最たるものは、8段飾りの見事な雛人形。昭和の時代に大量に売られたせいなのか、引き取り手は見当たらず、かといって処分するにはあまりに美しい人形たちですから、結局倉庫でまた眠ってもらうこととなりました。いつか日の目を見てくれるといいのですが。

人形といえば、この雛飾りを押し入れの奥から取り出した最後の最後に、幼い頃肌身離さず抱き抱えていたパンダの人形が出現。あまりの懐かしさに持ち帰り、綺麗に洗って同じく持ち帰った弾けもしないウクレレとともにわが家の新しい仲間となりました。

そうして持ち帰ったものを見てみると、世間的には大して貴重なものではなくても、実家のリビングに物心がついた頃から変わらずに置いてあった、たわいもないものこそが、捨てられない大切なものと気づきました。

1つの区切りをつけることができたことにホッとしています。

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